森孝一のやきもの曼荼羅

やきもの曼荼羅[45]日本のやきもの27 上野焼(一)

大名茶人・細川忠興  戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将・細川忠興(ただおき、1563~1645)は細川藤孝(号・幽斎)の長男で大名茶人でもありま...

やきもの曼荼羅[44]日本のやきもの26 高取焼(二)

五十嵐次左衛門  貝原益軒編の『筑前国続風土記』(1703年刊)によると、内ケ磯窯には、高取八蔵のほかに五十嵐次左衛門という人物が茶陶の生産に関わってい...

やきもの曼荼羅[43]日本のやきもの25 高取焼(一)

高取焼とは  高取焼とは、福岡県下で桃山時代から焼かれているやきもののことです。貝原益軒編の『筑前国続風土記』(1703年刊)には、朝鮮出兵(文禄・慶長...

やきもの曼荼羅[42]日本のやきもの24 里帰りした明治伊万里

再び世界で脚光を浴びた明治伊万里  18世紀以来、有田焼が再び世界で脚光を浴びるのは万国博覧会(以下、万博)を通じてです。1867年(慶應3年)の第2回...

やきもの曼荼羅[41]日本のやきもの23 有田教育の父・江越礼太

有田教育の父・江越礼太   明治の有田の偉人の一人に江越礼太(れいた)がいます。1881年(明治14年)わが国最初の陶器工藝学校「勉脩...

やきもの曼荼羅[40]日本のやきもの22 鍋島色絵十七櫂繋ぎ文皿

 鍋島焼の尺皿は、直径約30センチの大皿で、色絵・染付・青磁に関わらず、いずれも堂々とした存在感を放っています。武家の饗応において、尺皿はその主役を担...

やきもの曼荼羅[39]日本のやきもの21 鍋島

将軍家への献上品としての鍋島藩窯  鍋島焼とは、将軍家への献上品として焼かれた磁器、すなわち肥前鍋島藩の藩窯の製品をいいます。それ以前の鍋島藩は...

やきもの曼荼羅[38]日本のやきもの20 金襴手

古伊万里金襴手  江戸時代の元禄年間(1688~1704)になると裕福な町衆が文化の主役となり、華麗な色絵磁器が求められるようになります。有田で...

やきもの曼荼羅[37]日本のやきもの19 柿右衛門

酒井田柿右衛門家の色絵磁器  初代酒井田柿右衛門(喜三右衛門)は、福岡県八女市酒井田の出身。1615年(元和初年)、父・円西(えんさい)と共に有田に移り...

やきもの曼荼羅[36]日本のやきもの18 古九谷

色絵磁器のはじまり  日本における色絵の発祥は、九州の有田と言われています。その色絵は1647年(正保4年)までに始まりました。『酒井田柿右衛門...