やきもの曼荼羅[53]日本のやきもの35 美濃焼(四)

織部焼とは

 織部焼とは、慶長年間(1596~1615)から寛永年間(1624~44)に美濃で焼かれた斬新奇抜な装飾を施したやきものの総称であり、単に「織部」とも呼ばれています。古田織部正重然(ふるたおりべのかみしげなり)の好尚(こうしょう)を反映したやきものと考えられていますが、しかし、文献的には全くその事実は記されておらず、唯一、個人が所蔵する「織部沓形茶碗」に古田織部の花押を鉄絵で記した作品があり、これが直接の接点を伝えています。博多の豪商・神谷宗湛が記した慶長四年二月の『宗湛日記』には、「名人の茶の湯者は瓢(ひょう)げて歪(ひず)んだ姿の瀬戸(当時は美濃焼も瀬戸焼と呼ばれていました)茶碗を使い」と、古田織部の茶会に参じた折の様子が記されています。また、寛永三年刊の『草人木(そうじんぼく)』には「年々に瀬戸よりのほりたる今焼のひつミ(ひずみ)たる也」とあり、織部が好んだ歪んだ瀬戸茶碗を用いたことを述べています。茶道具では、香合に力作が多く見られますが、水指や花入は極めて少ないようです。懐石道具では特に向付、手鉢、鉢、角鉢などに優品が集中し、徳利は名作が少ないようです。その造形上の特色は、円形の造形を破って、矩形(くけい)、六角形、八角形などから発展し、千鳥、舟、扇などの具象形、さらに不整形を考案し、造形の革新性が見られます。その多くは高台をつけず、脚をつけて器を浮かし、緑釉と鉄絵を掛け分けて、その鉄絵の文様は、伝統文様に斬新な幾何学文を取り合わせ、世界に先駆けて20世紀に流行する抽象意匠を表現しています。

懐石料理と織部焼

 桃山時代に最も優れた器が誕生した背景には茶の湯の成立が大きく関係します。禅寺の本膳では漆器が使用されますが、茶の湯の懐石では折敷(おしき)、すなわち足のない平膳が使われます。この折敷の手前にはん(飯碗)と汁(汁椀)を置き、その向う側に置かれたので、向付と呼ばれました。いわゆる小鉢のことですが、この向付には魚貝類をなますや昆布締めにしたもの、和えものが盛られました。また、茶の湯の懐石の器として誕生したものに、織部焼の手付鉢があります。手付鉢は盛り付けがしにくいだけでなく、取り扱う上でも決して実用的ではありません。しかし、豪快な手がついていることで、料理に不思議な緊張が生れます。手付鉢は、日常の器としては不要なものですが、茶の湯という非日常の空間で使用されるために誕生した懐石の器だといえます。

織部松皮菱手鉢

織部松皮菱手鉢 桃山時代 26.0センチ × 24.0センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 型によるタタラ作りの鉢で、松皮菱の形をしています。松皮菱とは、大小の菱を重ね合わせたその様子を松の皮の風情になぞらえてつけられた名称で、三階菱の一種です。元は手鉢であったと思われますが、緑釉を二方から塗り、残った中央に鉄絵で矩形と梅花、側面には縦横に線条を巡らせて、抽象意匠を表現しています。

織部焼の種類

 織部焼の種類には、青織部、総織部、鳴海織部、赤織部、織部黑・黒織部、絵織部、鼠織部、志野織部、伊賀織部、唐津織部などと呼ばれるものがあります。

青織部 織部焼の一種で、銅緑釉と長石釉の掛け分けを行い、長石釉の釉下に鉄絵文様のあるものをいいます。普通、織部といえば誰でもがこの手を連想しますが、緑釉は土灰釉に銅を混ぜたもので、一般的には「へゲ」と呼ばれている酸化銅を用いています。技法によって、青織部、総織部、鳴海織部と呼び分けられますが、片身替わりで緑と白に塗り分けたものを青織部と呼んでいます。向付や蓋物、手鉢や鉢が圧倒的に多く見られます。出光美術館蔵の「織部千鳥文誰が袖形鉢」「織部千鳥形向付」や東京国立博物館蔵の「織部扇面形蓋物」(文化遺産オンライン)などが知られています。

総織部 織部焼の一種で、全体に銅緑釉を掛けたものを総織部と呼びます。中国の華南三彩や漳州窯系の青花などの影響を受けたもので、稜花形の器形などは黄瀬戸の造形にも通じるものがあるといわれています。釉下には、刻線文や櫛目文、印花文などが見られます。

鳴海織部 織部焼の一種で、白土と鉄分を含んだ赤土の2種類の土を繋ぎ合わせ、白土の部分には緑釉をかけ、赤土の上には白泥で文様を描き、さらに鉄の線描きのあるものをいいます。酸化焼成のため、赤土の部分には透明釉をかけ、器面を緑色の部分と灰色から灰褐色の部分とに二分割して片身替わりとしたものをいいます。器種としては、向付、手鉢、角鉢、蓋物、茶碗、汁次などがあり、とくに手付鉢には優品が見られます。『茶器弁玉集(ちゃきべんぎょくしゅう)』には「土薄浅黄にて薄手に造り見事なる茶入一通あり、代高し、稀也」とあり、中興名物の「餓鬼腹茶入」(野村美術館蔵)がその代表的傑作です。東京国立博物館蔵の「織部州浜形手鉢」(文化遺産オンライン)は、白土と赤土の二色の粘土を使ったいわゆる鳴海織部の作風のものです。

織部火入

織部火入 桃山時代 高10.0センチ 径8.4センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 鳴海織部の作風で、緑釉の部分には白土を、絵付の部分には赤土を使い、その上に白泥で織部特有の抽象画を描いています。もとは筒向付として作られたものですが、火入として代用されたものです。

赤織部 織部焼の一種で、鉄分を多く含んだ赤味のある色調の素地に、鉄絵で輪郭をとった白泥の文様を描いたものをいいます。鳴海織部と比べると、抽象力がやや弱いといわれ、器種としては茶碗、向付、花入などが見られます。