やきもの曼荼羅[29]日本のやきもの12 唐津(其の五)

絵唐津の窯と文様

 唐津焼で一番多く作られたのは皿類だろうと思います。その中で、絵唐津はとくに人気があります。絵唐津とは、鉄絵文様のある唐津焼をいいます。絵唐津は、古唐津のほとんどの窯で作られていますが、古窯跡から絵唐津の陶片が見つからない窯もあるので、すべてというわけではないようです。

 胎土は、大雑把に分けて、鉄分の少ない白土と鉄分の多い土の2種類に分かれます。前者を代表する窯としては、飯洞甕(はんどうがめ)下、飯洞甕上、帆柱(ほばしら)、道納屋谷(みちなやだに)、小十官者(こじろ)などがあり、後者を代表する窯としては、錆谷(さびたに)、小峠奥、内田皿屋などがあります。
 その中間にある松浦古唐津の甕屋(かめや)の谷、焼山、道園(どうぞの)、阿房谷(あぼんたに)、藤の川内(ふじのかわち)茅の谷、狼ヶ鞍(やまいんがくら)、勝久、椎の峯、一ノ瀬高麗神、権現谷、本部小川内などの諸窯、武雄古唐津の一位の樹山(いっちのきやま)、古那甲(こなこう)の辻、祥古谷(しょうこだに)、李祥古場(りしょうこば)、古屋敷、金山谷、山崎御立目(やまさきおたちめ)、川古窯の谷下窯の諸窯、平戸古唐津の小森谷、山辺田一(やんべたいち)、葭の元(よしのもと)、柳の元、牛石などの諸窯では、焔の性質によって、白、桃、青、赤などに釉色が変化します。

 絵唐津の意匠には、李朝風の素朴なものと、日本化された織部風のものの2種類があり、なかには志野、織部と全く同一のものもあります。文様は抽象的な文様と具象的な文様に大別されます。草文を描いたものがもっとも多く、抽象文としては、点、三星、曲線、円、×印などが見られ、その他、朝鮮かな文字、漢字、ひらがななどがあります。具象文としては、ススキ、葦、唐草、竹、笹、柳、野葡萄、藤、山帰来、三つ葉、おもだ、にんじん葉、水草、松、梅、柿、桐、スミレ、蛍袋、唐草、海老、魚、千鳥、雀、鳶、鳥、馬、兎、竜、松山、網干、橋、水車、片輪車、御所車、幕、網曳、楼閣、釣人、葦乗羅漢(あしのりらかん)、山水など多種多様です。

李朝風の文様と織部風の文様

 絵唐津の魅力は、何といっても素朴で伸びやかな文様です。その文様は、窯場の四季のたたずまいや山野の風物を描いたものがほとんどです。春は若芽、ぜんまい、蔓草、すみれの花、釣鐘草など、秋は七草、野葡萄、山鳥などを描いていると陶磁学者の小山冨士夫氏が書いています。古伊万里の文様については、大橋康二氏が『古伊万里の文様』(理工学社)を刊行されているので、絵唐津も文様集が刊行されたら面白いだろうと思います。ちなみに佐賀大学「ひと・もの作り唐津」プロジェクトから『古唐津図案集』が刊行されています。

絵唐津芦文水指 桃山時代 高13.9センチ 径19.0センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 青山二郎旧蔵の「絵唐津茶碗」に、胴の四面に文字のような文様が描かれた茶碗があります。青山は、その文様を「水心如水」と読んでいますが、絵とも文字とも区別のつかない李朝風の文様です。日本化された文様の皿や壺としては、重要文化財(以下、重文)の「絵唐津松樹文大皿」(梅澤記念館蔵)や同じく重文の「絵唐津柿文三耳壺」(出光美術館蔵)があります。福岡東洋陶磁美術館蔵の「絵唐津芦文水指」(上写真参照)は、出光美術館蔵の「絵唐津葦文壺」や日本民藝館蔵の「鉄絵葦文壺」と並ぶ名品です。また、「絵唐津茶碗 銘 虹の松原」(下写真参照)は簡略化された松の文様がリズミカルに描かれています。酒盃では、青山二郎旧蔵の「絵唐津草文ぐい呑」がとくに優品です。深く立ち上がった器形といい、のびやかな絵模様といい、これ程出来のいい絵唐津は数少ないと思います。

絵唐津茶碗 銘「虹の松原」 桃山時代 高9.8センチ 口径13.6センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

斑唐津の名称と種類

 斑(まだら)唐津は、藁灰釉の掛かった失透性白濁の唐津で、燃料の松灰が降りかかり、微量に含んだ鉄の粒が溶けて青い斑文が出るので、この名称があります。飯洞甕下窯は割竹式登窯で、その構造と形式は朝鮮半島北部の窯とほぼ同一です。帆柱窯系の斑釉は朝鮮半島北部の会寧、明川付近にのみに見られる陶技とされていましたが、「最近の調査では、中国の広東省・福建省あたりではないかと想像されるようになった」と、中里逢庵氏が著書『唐津焼の研究』の中で報告されています。しかし、その源流は定かではありません。

 斑唐津を焼いた窯としては、帆柱、岸岳皿屋、道納屋谷、山瀬など岸岳系諸窯が知られていますが、櫨(はぜ)の谷、大川原、椎の峯、藤の川内、金石原(かないしばる)、中の原、岳野、泣早山(なきばやま)、阿房谷、道園、焼山、一ノ瀬高麗神の諸窯でも焼かれています。

 斑唐津と言っても、その発色は微妙に異なります。酸化焔が直接あたったところは、藁灰に含まれている元素によってピンク色となり、中性炎ではまっ白に焼き上がります。このまっ白に焼き上がったものを白唐津と呼びます。藁灰釉の失透性の釉と、白土に長石釉を掛けたマット調の白釉とがあります。変わり種では、斑唐津の口辺部に鉄釉を塗った茶碗や、藁灰釉と鉄釉を掛け分けた朝鮮唐津風のぐい呑もあります。

 重文「斑唐津点班文壺」と酒器愛陶家に人気の斑唐津のぐい呑

 重文「斑唐津点班文壺」は、現在は相国寺の承天閣美術館蔵ですが、私が初めてガラス越しでなく拝見したのは、山形市の清風荘で催された第二十一回鈍翁茶会の濃茶席でした。その時の私の拝見記には「全体に分厚く形成され、胴張りで、力強い造形をなしている。青味を帯びた浮白色の藁灰釉の上に、鉄釉を肩の六ヶ所に飛ばし文様としている。壺を水指に仕立てたものか。十七世紀初頭の唐津焼の名品である。内箱蓋裏には『斑唐津帆柱水指 清狂菴珎什(花押)』」とあります。

 酒器好きの間では、「備前の徳利に唐津の盃」と言われていますが、その多くは斑唐津ぐい呑です。もとは多目的に使われた小振りの向付ですが、不思議と唐津はぐい呑の形をしています。さらに、釉調が微妙に変化し幅があることも人気の理由ではないかと思います。「斑唐津ぐい呑」(下写真参照)は、形も大きさもよく、全体に掛けられた白い釉調が特徴になっています。

斑唐津ぐい呑 桃山時代 高4.6センチ 口径6.1センチ 個人蔵