やきもの曼荼羅[46]日本のやきもの28 上野焼(二)

岩屋高麗窯(福岡県田川郡方城町上弁城岩屋)

 岩屋高麗窯の開始期は明確ではありませんが、1607年(慶長12年)頃と推察され、閉窯は釜ノ口窯と同様、1632年(寛永9年)といわれています。細川40万石の需要を満たすためには釜ノ口窯だけでは不十分なため、釜ノ口窯開始から5年を経ての築窯だと考えられています。1624年(寛永元年)に高取焼の内ヶ磯窯が閉窯すると、一部の陶工が上野(あがの)郷に流れてきて、岩屋高麗窯で製陶に携わったといいます。それによって、内ヶ磯窯特有の縁なぶりの小皿が量産されました。上野焼研究家の毛利茂樹氏は「釜ノ口窯の厳しい均整美とは反し、自由奔放な手仕事が伺い知れ、民需的要素の作調を温存する」と書いています。窯作品としては、飴釉、灰釉、土灰釉の茶碗・鉢・徳利・壺などが知られています。

藁灰釉茶碗

藁灰釉茶碗 釜ノ口窯 高8.3センチ 口径12.8センチ 底径6.7センチ 佐賀県立九州陶磁文化館・高取コレクション蔵

 高台脇までたっぷりと藁灰釉の掛かった、いかにも端整な形姿の茶碗です。胴で絞って、ゆるやかな広がりのある曲線には茶味が感じられます。上野焼・釜ノ口窯の上手の作品です。

皿山本窯(福岡県田川郡赤池町字皿山)

 皿山本窯の開始期も明確ではありませんが、釜ノ口窯・岩屋高麗窯にやや遅れて、寛永年間(1624~1644)にはじまり、1871年(明治4年)の廃藩置県をもって藩窯としての使命を終えます。尊楷(そんかい)とその長男と次男が八代(やつしろ)に移った後、上野には三男・十時(ととき)孫左衛門と娘婿の渡久左衛門が残り、次の藩主となった小笠原家に仕えて幕末まで上野焼を継承します。初期のものには釜ノ口窯と類似する作風や釉薬のものが一部見られますが、小笠原藩主の時代からは、白釉地に胴緑釉や三彩釉を掛けたものや、紫蘇(しそ)手、柚肌手、象嵌など、特色のある様々な技法が用いられており、この伝統が現在に受け継がれています。

三彩水指

三彩水指 皿山本窯 高15.0センチ 口径18.2センチ 底径15.0センチ 佐賀県立九州陶磁文化館・高取コレクション

 上野焼も江戸時代後期になると、装飾過多と思われる技法が駆使されます。この三彩水指もその一つで、後期上野焼(皿山本窯)を代表する陶技です。文様も点班状、流線状、渦巻状と多様で、発色も美しく、この水指と同手の茶碗が現存しています。

遠州七窯と上野焼

 江戸時代中期には尊楷が築いた登り窯は、徳川家茶道指南役である小堀遠州に「遠州七窯」の一つとして賞賛されるまでとなり、世に広く知られるようになりました。その後も、尊楷の登り窯は、小笠原家が統治する幕末まで歴代藩主の御用窯として重用され続けました。しかし、1871年(明治4年)の廃藩置県により藩窯としての使命を終えます。藩が消滅し、上野焼は衰退したかと思われましたが、1902年(明治35年)熊谷九八郎らによって田川郡の補助を受けて復興されます。「上野焼四百年」の図録には、皿山本窯の作品として「藁灰釉茶碗」「藁灰釉筒茶碗」、細川三斎好みの「瓢形水指」、「鉄釉大海茶入」「瓢形茶入」、宮本武蔵の養子・宮本伊織(いおり)家伝来の「灰釉瓢形瓶」などが掲載されています。瓢(ひさご)形の茶入は、三斎好みと伝えられています。

現代の上野焼の流れ

 上野焼の藩窯は廃藩置県により終わりますが、完全に切れた訳ではありません。筑豊は一時期、石炭景気に湧き、古上野(こあがの)とはかけ離れた技巧的な緑釉陶器が盛んに作られました。数は少ないけれども窯元がありましたから、かなりの陶工を使って量産しました。1955(昭和30)年代に日本陶磁協会の佐藤進三、三上次男らが上野古窯を発掘調査し「上野古窯調査報告書」が日本陶磁協会から発行されると、にわかに古上野が注目され上野焼が復興します。1960年(昭和35年)に刊行された『陶器全集』(平凡社刊)には、佐藤進三が上野焼を紹介しています。現在の上野焼の流れは、その時に作られました。

渡久兵衛・仁親子の陶芸

 私が日本陶磁協会の機関誌である「陶説」を編集していた時、上野焼宗家・渡窯の渡久兵衛氏とその長男の仁(ひとし)氏には大変お世話になりました。それは今から20年ほど前のことですが、その頃の上野焼の作家は大変勉強熱心で、美術評論家の吉田耕三氏を講師に招き、定期的に勉強会を行っていました。久兵衛氏が亡くなり、現在は仁氏が上野焼宗家・渡窯を継いでいます。

 渡仁氏は1968年生まれ。東京造形大学彫刻科に入学し、現代美術に憧れて具象彫刻を専攻します。卒業後は、東南アジアを廻って美術や文化を見て歩き、1994年に郷里に戻り父・久兵衛に師事、本格的に陶芸をはじめます。現代美術とは正反対の制約のある工芸の奥深さを知って、現代美術との共通性があることに気づき、陶芸の世界に魅せられます。「日本文化を内包し、四畳半に宇宙を感じるなんて、茶道こそが最古の現代美術だ」と仁氏は語っています。