やきもの曼荼羅[36]日本のやきもの19 柿右衛門

酒井田柿右衛門家の色絵磁器

 初代酒井田柿右衛門(喜三右衛門)は、福岡県八女市酒井田の出身。1615年(元和初年)、父・円西(えんさい)と共に有田に移り住んだと伝えられています。はじめ有田年木山(としのきやま)、続いて有田下南川原山(しもなんがわらやま)に居を構え、1647年(正保4年)以前に、中国人・四官(しいくわん)の助力を得て、日本で初めて色絵技法に成功しました。その後、柿右衛門家は色絵を中心に優れた磁器を焼く名家として活躍し、17世紀後期以降には最高潮を迎える伊万里焼の発展に大きく貢献します。

 柿右衛門と言えば、戦前の尋常小学校国語読本に載った「陶工柿右衛門の話」が余りにも有名です。庭になる目の覚めるような柿の色の美しさに心打たれて、苦心の末、柿の色を出すのに成功した話で、これはフランスの陶工の話がネタ本だったと、加藤唐九郎が『やきもの随筆』の巻頭で触れています。その真価はともかく、柿右衛門の赤がとても魅力的であることには変わりありません。

 さて、柿右衛門の特徴は、金襴手様式に代表される伊万里焼の色絵磁器とは全く様式の違うもので、乳白手あるいは濁(にごし)手と呼ばれる乳白色の素地に映える、繊細優美な色絵にあります。はじめは中国陶磁に倣って発展しますが、1673年から1681年(延宝年間)には、わが国独自と言われる純白の素地上に充分な余白をもって伸びやかな絵付を施した柿右衛門様式が完成します。

 村上伸之氏の「有田の窯跡にみる古九谷」(『陶説』720号 2013年3月刊)には、「楠木谷窯跡の純粋な〝南京赤絵系〟の技術は、それまで雑器の生産地であった南川原山へ移植され、独自の改良・洗練が加えられ、柿右衛門様式として昇華した」とあります。

初期の柿右衛門様式

色絵花鳥文平皿 伊万里・柿右衛門様式 江戸時代(17世紀後半)高5.7センチ 径31.0センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 「柿右衛門様式」といえば、酒井田柿右衛門家のやきものと思われがちですが、有田のあちこちの窯跡から柿右衛門様式の陶片が出土していますので、現在ではそれらを総括して「柿右衛門様式」と呼んでいるようです。

 初期の柿右衛門様式の多くは輸出色絵としてヨーロッパにその作品が多く残っています。写真の「色絵花鳥文平皿」は、17世紀後半(1670~80年代)の柿右衛門様式の作品です。俗に芙蓉手(ふようで)と呼ばれるもので、中国・景徳鎮で1600年前後に完成しました。この芙蓉手は、ヨーロッパでは特に人気を博したようですが、伊万里焼でも染付や色絵で盛んに作られました。

柿右衛門様式の完成

 柿右衛門様式の濁手といわれる純白の素地は、考古学的な調査から1680年頃までには完成したと言われています。そして、典型的な色絵磁器の終えんは1690年代と推定されています。柿右衛門様式の条件について、根津美術館の西田宏子氏が次の5項目を挙げています。

  1. 濁手素地を用い色絵で、染付を使っていない。
  2. 型打成型を主とした精巧な成型の素地。
  3. 余白の多い非対称の構図。
  4. 赤、青、緑、黄と金・紫の上絵であり、細密な線描で絵付けされていること。
  5. 柿右衛門窯跡及び南川原窯の辻窯跡で陶片が発見され、酒井田家が生産に関わった可能性の高い作品。

という諸点です。

 1.の濁手は、素地が「にごし手」と呼ばれるやわらかい白磁のことを言いますが、牛乳を流したような白色を乳白手、欧米ではミルク・ホワイトと呼ばれています。

 2.の型打成型は、輸出品であった里帰り作品に多く見られます。主に(六角などの)大壺や(取っ手の付いた)水注、(稜花)鉢、人形、置物などが挙げられますが、典型的な柿右衛門濁手とは、「素焼きを行い、本焼きでは匣(さや)に入れて窯に詰め、薄い釉薬のかかつた純白の地肌で、精巧な成型の素地」と定義されています。

 3.の余白の多い非対称の構図ですが、西田氏は、「初代柿右衛門が長崎のオランダ人のところで、純白の錫釉を施したファイアンスの皿を見る機会をあったのではないか。それは表に色絵または藍絵で文様を付けた皿類で、裏は白釉のみで無文であったと推測される。17世紀中頃のオランダ陶器の主流は、表は錫を加えた白い釉で覆われていたが、裏面はまだ鉛釉だけで、素地が見える粗略な器物が多かった」と説明されています。ちなみに、イスラム教の世界では、モスクなどの建造物が色彩豊かなタイル装飾で埋め尽くされていますが、それは余白があるとそこから悪魔が侵入するからだと聞いたことがあります。そのため中近東向けの中国の輸出陶磁は、文様で埋められたものが多いようです。余白の美は日本独特のものですが、国が違えば文化が違い、美意識も異なるということです。

 非対称の構図については、4.の細密な線描で絵付けされていることと併せて、中国明末磁器の影響が濃かった初期のものに比べ、和様化が進んだことが挙げられます。例えば、梅花文、牡丹文、菊花文、鹿に紅葉文、竹に虎文、花鳥文などが、そのよい例と言えましょう。それに伴って、柿右衛門特有の優雅な絵付けがなされるようになりました。「色絵唐人物花鳥文角徳利」参照。

色絵唐人物花鳥文角徳利 伊万里・柿右衛門様式(17世紀後半)高17.2センチ 径8.5センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

柿右衛門様式のヨーロッパ陶磁への影響

 柿右衛門の色絵磁器は、世界の柿右衛門と言われています。それだけ世界的な評価が高かく、ヨーロッパ磁器に与えた影響が大きかったということです。

 柿右衛門様式の模倣作品の中では、ドイツのマイセン窯(1710年開窯)の製品がとりわけ有名です。柿右衛門様式の皿、鉢、六角壺にはマイセン窯の忠実なコピーの存在が知られています。その代表的なものが、竹に虎文、司馬温公図、柴垣葡萄(ぶどう)栗鼠(りす)文、竹に龍虎文、鶉(うずら)文などです。なかでも、17世紀後半から18世紀中葉までヨーロッパで流行した東洋磁器を飾った部屋、ポーセリン・キャビネット(日本語では「磁器の間」)は、王侯貴族の東洋趣味を語ったものとして有名です。