やきもの曼荼羅[30]日本のやきもの13 唐津(其の六)

三島唐津茶碗 高7.3センチ 径14.5センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

三島唐津について

 三島唐津とは、白土で文様を象嵌(ぞうがん)した唐津焼をいいます。朝鮮時代の粉青沙器(ふんせいさき)の技法が肥前地方に伝えられて誕生したものです。その粉青沙器の文様が三島大社(静岡県三島市)から発行されている「三島暦」の字配りと似ていることから、日本では三島手(みしまで)もしくは暦手(こよみで)と呼ばれています。三島唐津には象嵌、刷毛目(はけめ)、絵刷毛目、櫛(くし)刷毛目、彫刷毛目などの技法がありますが、中里逢庵氏の『唐津焼の研究』(河出書房新社刊)には、打刷毛目、吹刷毛二彩唐津、型紙刷毛目象嵌、無釉絵刷毛目、陶胎染付刷毛目など唐津独自の技法などについても触れています。

 象嵌の技法は、土の柔らかいうちに木製や粘土素焼製、石製の印を押したり、線彫りしたりして、その文様にそって白土を嵌め込み、少し乾いてから表面を削り落とすとくっきりと文様が出ます。それに長石釉を掛けて焼くと、白く発色します。茶碗、水指、壺、皿、鉢、大鉢などに施されましたが、坊主町の御茶碗窯をはじめ、椎の峯、平山上、大草野、川古窯の谷新、小峠奥、百間、天神森、小田志山、白木原一、白木原二の諸窯で焼かれています。
 刷毛目の技法は、胎土に含まれている鉄分による黒さを隠すため、または白磁に似せるため白化粧をします。その時、刷毛を用いて白土を塗るので刷毛目と呼ばれています。刷毛の他に、筆、布などを用いる場合もありますが、作品として残っているものは少ないようです。
 絵刷毛目の技法は、朝鮮時代の絵刷毛目や絵粉引と同じ技法です。唐津の絵刷毛目には無釉と釉薬を掛けたものと2種類があります。大阪市中央区淡路町2丁目から出土した《肥前鉄絵鉢》は、無釉の唐津の絵刷毛目鉢です。
 櫛刷毛目の技法は、白化粧した後、藁(わら)の芯で作った櫛を用いて文様を描き出したものを櫛刷毛目と呼びます。唐津独特の技法ですが、その源流は李朝刷毛目にあるようです。茶碗、皿、鉢、徳利、壺などに使われています。
 彫刷毛目の技法は、白土刷毛目した器面に文様を竹箆(べら)で線彫りしたもので、朝鮮時代の彫三島の技法が伝わったものです。皿、鉢、大鉢、壺などに使われています。
 型紙刷毛目の技法は、文様を切り抜いた型紙の上から刷毛で白土を摺り込んだものを型紙刷毛目と呼びます。
 福岡東洋陶磁美術館蔵の「三島唐津茶碗」は、江戸時代17世紀前半に作られたもので、高7.3センチ、径14.5センチの茶碗です。かなり細やかな線条文と桜の花弁の模様などが象嵌されています。釉もやや白いために全体にしっとりと瀟洒(しょうしゃ)な風情を醸し出しています。

青唐津・黄唐津について

 黄唐津・青唐津とは、木灰釉を掛けて焼いたもので、灰や土の中に含まれているわずかに鉄分が還元焼成によって青味を帯びたものを青唐津、酸化焼成によって黄褐色に焼き上がったものを黄唐津と呼びます。「黄唐津馬盥茶盌」(きがらつばたらいちゃわん)が知られています。唐津の友人の話ですと、山瀬の白っぽいビスケットのような土でないと、黄唐津の雰囲気が出ないのだといいます。

黒唐津について

 黒唐津とは、鉄分を含んだ岩石を砕いて細かくすり潰すか、または、含鉄粘土を素焼きしてすり潰した土灰、または、松灰と調合して釉としたもので、岸岳古唐津以来いたるところで焼かれています。黒唐津といっても、その発色は真っ黒なものから飴色っぽいのものまで色々です。道納屋谷(みちなやだに)、道園(どうぞの)、牛石(うしいし)などの窯では中国式の柿釉が使われ、柿釉の上から木灰分の多い長石釉を掛けて漆黒に発色させています。黒唐津の優品を焼いた窯としては、飯洞甕下(はんどうかめしも)、飯洞甕上(はんどうかめうえ)、道園、阿房谷(あぼんだに)、藤の川内(ふじのかわち)茅の谷、焼山、甕屋の谷、岳野、中野原、金石原(かないしはら)、広谷、李祥古場(りしょうこば)、祥古谷(しょうこだに)、猪ノ古場、牛石などの諸窯があります。飯洞甕下・飯洞甕上窯の鉄釉は、泥釉の上から木灰分の多い青唐津の釉を掛けています。朝鮮半島の高麗末の黒釉扁壺と似ています。また、中国越州窯(えっしゅうよう)の東晋時代の徳清、上虞、余抗諸窯の鉄釉や飴釉ともよく似ています。
 黒唐津の一種に泥釉があります。これは柿天目釉の一種です。叩き作りの袋物の水漏れ防止のために使われ、藤の川内茅の谷、阿房谷などの窯に見られるように、泥釉を掛けた上から木灰分の多い鉄釉を掛けて、真っ黒く発色させています。他に、飯洞甕下窯では、泥釉の上から木灰分の多い土灰釉を掛けて黒く発色させています。これは、中国宋時代の天目釉と同じ技法です。

叩き黒唐津耳付四方水指 銘「福の神」 高19.0センチ 径21.9センチ 佐賀県重要文化財 唐津市教育委員会(中里家コレクション)蔵

 この水指は、中里太郎右衛門家から唐津市に寄贈されたコレクションの中の1点です。17世紀初期に甕屋の谷窯で焼かれた水指で、鉄分の多いねっとりとした土で、叩き作りのため内側にかすかに青海波文(せいかいはもん)が残っています。この叩き技法は、古唐津の諸窯で広く行われていますが、18世紀以降ほとんど見られなくなります。内側の青海波文は、その成形時に出来たものです。口は矢筈(やはず)作りで、大きな耳が縦に付き、底部には小さな足が三つ付いています。全体に黒飴釉を掛け、正面に鉄砂を掛けて景色としています。さらに、胴一面に筋文様を付け、底部にはアルファベットのL字型の陽刻が押されています。銘の「福の神」は、聞くところによれば、ある店から蓋のない水指を手に入れたところ、偶然にも同じ同寸の陶片が見つかり、さらに、その窯跡から同じ共蓋が発見されたので「福の神」と命銘したということです。その共蓋にも鍵のあるL字型が陰刻されています。また、叩き作りのため、見た目よりもずっと軽いのが特徴です。