やきもの曼荼羅[18]日本のやきもの1 日本人の土の思想

人間と風土

 「身土不二(しんどふに)」という言葉があります。初出は、中国の普度法師が1305年に編纂(へんさん)した仏教書『廬山蓮宗寶鑑(ろざんれんしゅうほうかん)』といわれていますが、直訳すると「身体(身)は環境(土)と無縁ではない(不二)」ということになります。すなわち、人間の身体はその人の住んでいる風土とは切り離せないということです。その土地の旬のものを食べることが身体には一番よく、人間もその土地の気候風土に適応して生きているという教えです。この身土不二の思想は、やきものにおいても例外ではありません。やきものもその土地の自然、気候風土と密接に関係しています。地域によって、陶土の成分も違えば、窯作りや焼き方も違います。故に、多種多様なやきものが日本には生まれたと言ってもいいと思います。

日本人の味蕾

 ところで、世界で一番多く魚介類を食べているのは、恐らく日本人であろうと言われています。甘味、塩味、酸味、苦味、旨味の五味のことを味蕾(みらい)と言いますが、この味蕾の数が一番多いのも日本人と言われています。この味蕾の発達と世界で一番多く魚介類を食べていることとは、無関係とは思われません。旬の野菜を食べるということは土の養分を食すことであり、活きのよい魚を食べるということは海の養分を食すことです。そうした新鮮な食材に恵まれているからこそ、日本料理にはその素材の味を引き出すための出汁(だし)が生まれたのだと思います。そこが中国料理のスープとも、フランス料理のソースとも違うところです。この味蕾によって培われた繊細な感性が、日本の伝統芸能や工芸にも影響を与えているのではないかと思います。日本人は素材にこだわり、ものの本質を五感で捉えようとします。やきものでいえば、まず土ありきです。日本人にとって土味、焼味は単に表面的なものではなく、やきものの造形と同じぐらい重要なもので、その本質に関わるものなのです。縄文時代が一万年も続いたということは、それだけ日本が平和で豊かだったということの証しでもあります。その平和と豊かさの象徴こそ「縄文のビーナス」ではないかと私は思っています。

国宝「縄文のビーナス」

 国宝「縄文のビーナス」は、長野県茅野市棚畑遺跡出土の高さ27センチ、重量2.14キロの立像形の土偶です。今から4000~5000年前、縄文時代中期に作られたものと言われています。摘み出されたような小さな胸に対して、腹部とお尻が大きく張り出しており、妊娠した女性を表しています。頭の頂部が平らに作られ、円形の渦巻き文が見られることから、帽子を被っている姿とも、髪型とも言われています。顔はハート形の輪郭の中に、切れ長のつり上がった目、やや上を向いた鼻、ポカンと開いた小さな口のある童顔で、仮面をつけているようにも見えます。その目的は詳(つまび)らかではありませんが、地母神、魔除けの護符、あるいは呪物、安産のまじないに用いたとする説などもあります。しかし、その抽象化された造形力には、縄文人ならではの独創性が見られます。

日本人の自然観

 本連載の「中国陶磁(1)やきものの誕生」で、中国は石の国と記しましたが、日本は土の国です。日本の国土の3分の2は森林で、その豊かな緑によって水脈が生まれ、豊かな海(漁場)が育まれています。この循環の思想こそ日本の根幹であると、私は思います。日本の自然は、人間と共存共栄する里山・里海といった自然です。それに対して中国の自然は、人間を拒絶する巨大な自然、想像を遥かに超えた大自然です。韓国は中国ほど厳しい自然ではありませんが、韓国では自然は家の外にあるもので、日本人のように家の中にまで自然を取り入れることはありません。そこが韓国と日本の大きな違いなのかも知れません。

日本人の土の思想

 ところで、「どろ亀さん」の愛称で知られる森林学者の高橋延清氏は、「自然のバランスがとれている森には美がある」と言います。人間が働きかけて調和のとれた美を作ることが、自然の力を最大限に生かすことで、やがて深くて暗い森になるのだと言います。森が最後に行きつくという極盛相(きょくせいそう)、すなわちクライマックスの森は、生物の種類が一番多く、土壌も一番深く、森が最も安定している姿であり、このバランスのとれた美の創造こそ、宇宙の摂理にかなうものではないかと私は思っています。
 縄文文化は、外部からの影響を受けず内発的に発展した稀な時代です。その一万年の歴史を通して育まれた土の思想が、やがて日本人の遺伝子となり、感性の水脈となって、やきものを創造しているように思います。