やきもの曼荼羅[9]六古窯を訪ねる(其の五)信楽編

紫香楽宮のあった宮町の風景

山深い陶芸の里・信楽

 信楽は山間の盆地で、東は伊賀(三重県)、西は山城(京都)に隣接し、古代より交通の要衝にあたり、奈良時代には一時、紫香楽宮(しがらぎのみや)が置かれました。「天平のむかし、聖武天皇がこの地に都を奈良から移すことを決意して、多くの技術者、工芸家などを集め工事にかかりましたが、中途で挫折し完成をみることができませんでした。しかし、その時には大量の瓦や配水用の土管などが焼かれていました。その瓦や土管を焼いた窯が信楽のはじまりである」と、桂又三郎氏が「信楽古陶展」の図録に書いています。瓦を信楽で焼いたかどうかは定かではありませんが、紫香楽宮の造営と信楽の豊富な陶土の産出が、まったく無関係とは思えません。写真は、紫香楽宮のあった宮町の風景と金堂跡の礎石です。また、信楽から京都へは徒歩で一日といいますから、古(いにしえ)から往来が盛んであったのでしょう。京都三条界隈からは、信楽焼の花入・水指の発掘品が多く出土しています。

紫香楽宮の金堂跡の礎石

信楽焼の特徴

 信楽焼の素地は黒く鉄分の少ない土といわれています。主に「木節(きぶし)粘土」という黒色粘土と、「蛙目(がいろめ)粘土」という白色粘土の2種類です。陶土を漉(こ)さずに粉砕して成形し、無釉で焼き締めると、地肌は淡い火色となり、粘土に含まれている長石などの粒が表面にぶつぶつと噴き出してきます。そこへ緑色の自然釉がかかると、素朴で野趣溢れる表情となります。信楽の土は、耐火性に富む土なので、可塑性とともに腰が強いといわれ、大物から小物まで細工がしやすい粘土性であり、個性に富んでいます。

一番遅く開窯した信楽窯

 信楽窯は、鎌倉時代中頃、中世の窯の中では一番遅く開窯し、壺・甕(かめ)すり中心に生産されます。成形は他の中世古窯と同じく、粘土を巻き上げて形づくっていく方法で、下部から積み上げては乾かし、乾くとまた積み上げて段積みしていく「接(はぎ)づくり」という技法です。初期には常滑と同じN字状口縁をもつ壺や甕が焼かれていますが、南北朝時代以降になると信楽独特の特徴が表れ、口縁内側に太沈線を巡らせた甕や、鍔(つば)状の二重口縁をもつ壺が登場し、また信楽窯にのみ見られる桧垣文(ひがきもん)が施された大小の壺が盛んに生産されます。室町時代後期には片口小壺・緒桶(おおけ)・徳利・花瓶などが少量ながら生産されますが、茶の湯の流行にともない茶碗・茶入・水指・花生などの茶陶も焼かれています。千変万化の表情を見せるのもそのためです。

信楽焼に生涯をささげた近藤金吾氏

 八坂神社に向かって四条通りを行くと、左手の祇園商店街に古美術「近藤」があります。その「近藤」のご主人が、近藤金吾氏(1921~2000)です。信楽、常滑を中心に北大路魯山人や黒田辰秋、河井寛次郎などの作家を主に扱いました。1960年頃、写真家・土門拳と出会い信楽詣でをはじめます。そして、1965年には東京・日本橋の三越百貨店ではじめての本格的な古信楽の展示即売会「信楽古陶展」を開催しました。その時、約3000点の古信楽壺が展示され、約1週間で完売したといいます。同年、土門拳の写真集『信楽大壺』を小山冨士夫の監修で東京新聞出版局より出版しました。序文を小林秀雄が書いていますが、これらすべてが近藤氏の功績といってもいいでしょう。これを機に、古信楽ブームが沸き起こりました。

日本のやきものの醍醐味

信楽大壺(青山二郎旧蔵)

 信楽窯の壺や甕には、ひとつとして同じものはありません。肩部に施された桧垣文、「蟹の目」と呼ばれる長石粒が噴き出て、降灰は肩部で胡麻状となり、口頸部から肩部、胴中程に鮮緑色から濃緑色の自然釉が熔(と)け出しています。そんな表情豊かな信楽窯の壺や甕を眺めていると、窯の中のドラマが見えてきます。写真は、青山二郎が最晩年まで愛蔵した大壺です。自然釉の緑色と褐色の器肌の対比が見どころです。この壺を鑑賞するために、わざわざ回転台を作らせました。青山は「茶碗には六相というものがあり、品格・侘び・寂びの三趣と、量感・力感・浄感の三感、この三趣三感が一つになって茶碗の姿を造っている」といっていますが、これは大壺についてもいえることです。いまアメリカでは、もっとも日本の美を表現している美術品として、信楽を中心とする「六古窯」の壺や甕が高い評価を得ているといいます。「美の評価にとって重要なのは造形や色彩であり、使うことではない」と学者はいいますが、日本人は鑑賞陶器であろうと、オブジェであろうと、みんな使って楽しんできました。使わなければなにも語らないのが、日本のやきものです。やきものの美しさは「そういう経験の上に立っている」と小林秀雄も語っています。そこが、日本のやきものの醍醐味でもあります。

信楽焼の魅力

 信楽焼の景色は千変万化、同じものは一つもありません。確かに、火色・抜け・胡麻・灰被り・焦げ・自然釉・蜻蛉(とんぼ)の目・蟹の目・カセ・桧垣文など、信樂焼は見どころが満載です。しかし、そうした美意識は、のちの茶人や近代の鑑賞者たちが創り上げたもので、信楽焼の大きな魅力には違いありません。俳人・加藤楸邨(しゅうそん)は、信楽の壺を「何にも凭(もた)れず、何にも媚びず、それ自身で極めて自然に据(す)わっているという在り方なのだ。この自然に据わっているという在り方は、長い間自分に対して求め続けてきたものだが、口でいうほど簡単なものではない」と語っています。この「自然に据わっている」という在り方こそ、六古窯の壺や甕の魅力だと私は思ています。