やきものの広報活動
『人生は出会った人で決まる』『感動が人を動かす』『楽しくなければ会社じゃない』―。これらは、私が尊敬する堀貞一郎さんの本のタイトルです。このタイトルを読んだだけで、堀さんの生き方がよく分かります。彼は、テレビの黎明期に「シャボン玉ホリデー」や「11PM」などの名番組を企画した名プロデューサーです。といっても、今の若い人にはピンとこないかも知れませんが、私たち70前後の年代には懐かしいテレビ番組でした。堀さんは、1970年の大阪万博や東京ディズニーランド開園のための総合プロデューサーとしても活躍されました。しかし、完成したらそのポストに安住することなく、次の仕事に挑戦されました。そこが、堀さんが名プロデューサーと呼ばれる由縁です。
堀さんが主宰する「クレーの会」という陶芸倶楽部があります。この会は日本橋ロータリー倶楽部のメンバーが中心で、倶楽部以外の陶芸好きな方も参加しています。「陶芸は男の最高に贅沢な趣味」というのが、堀さんの口癖でした。縁あって、今、私が「クレーの会」の名誉顧問を務めております。そのメンバーは、会社社長・会社役員、弁護士・医者・建築家・老舗料理店主・歌舞伎俳優・華道家と職業もまちまちです。そのメンバーに共通することは、陶芸を通して堀さんという素晴らしい人物と出会い、人生の豊かさに目覚めた人たちだということです。
私は長い間、公益社団法人 日本陶磁協会という団体に所属してやきものの広報の仕事に従事し、「陶説」という機関紙を毎月発刊し、茶会や展覧会、地方での講演活動などを通して、会員の増強に努めてまいりましたが、今思うと、堀さんの情熱には足元にも及びません。
『陶芸家になるには』の刊行
2003年に、『陶芸家になるには』という本を、古美術月刊誌『眼の目』の編集長をしていた山田明さんと共著で、ぺりかん社から出版しました。これは「なるにはBOOKS」といって、中高生のために将来なりたい職業を案内するシリーズで、学校の図書館に備え付けられたものです。その頃は、某テレビ局の若者の意識調査で、なりたい職業のナンバーワンが陶芸家でした。今では考えられない状況ですが、そういう時代もあったということです。2001年頃でしたか、石川県の若い陶芸家と話していたら、「僕は森さんの『陶芸家になるためには』を読んで陶芸家になりました」と言われて、びっくりしました。その後、北海道でも同じような話を聞き、「そういう時代になったのかと」ようやく納得しました。
「やきもの曼荼羅」を計画
2004年頃、丸善の仕入部に在籍していた友人たちが早期退職して、本屋をはじめることになりました。ちょうど私も引っ越しをしたばかりだったので、新居に置けない本の処分を彼らに頼んだことがありました。そんな縁で、60歳で定年を迎え、嘱託になったころのことでしたので、彼らから相談を受けて「やきものネット」をはじめようと密かに計画したことがありました。元サッカー選手の中田英寿さんのブログを制作している専門家たちに相談に乗っていただき、いろいろネット社会のことを教えてもらいました。そこの事務所を訪ねてびっくりしたのは、オフィスに本や資料が見当たらないことでした。円形のテーブルの上には各人のパソコンが置いてあるだけです。パソコンを片付ければ、会議室になり、お昼には食堂にもなります。それに比べて、私の書斎は本と資料だらけです。パソコンを使って原稿を書いていても、本と資料なしでは仕事になりません。この違いは、ちょっとショックでした。
会議には、やきものを中心とした相関図「やきもの曼陀羅」を作成して説明しました。やきものを中心に置いて、料理、茶道、華道、建築、美術館、博物館、研究者、愛陶家、陶芸家、アマチア陶芸家、現代陶芸のギャラリー、古美術店、旅行会社などを繋げていきました。例えば、有田に旅行するならば、美術館巡りと陶芸体験、温泉と郷土料理をセットに結んでいきます。今、アマチュア陶芸家の人口は東京を中心に2万人とも3万人ともいわれます。アマチュア雑誌の発行部数が、それぐらいだからです。公募展に応募するアマチュア陶芸家も増えていて、入選者の平均年齢が年々高くなっているそうです。しかし、私の希望では、老人施設や特別養護学校の子供たちに陶芸を指導する福祉関係者に参加してほしいと望んでいます。このような相関図をネットの専門家たちに見せたら、「ネットこそ、まさに世界を繋ぐ曼荼羅です」と言われ、なるほどと納得しました。私の理想はやきもの関係のあらゆる分野をネットで一つに繋ぐ情報基地づくりでした。しかし、この計画は専門家を雇う経費をどう捻出するかということになり、諦めざるを得ませんでした。そのようなことを思い出して、今回の連載のタイトルを「やきもの曼荼羅」と決めました。
やきものの思想を連載
閑話休題、8年前の3月11日に東日本大地震が起こりました。その翌日の12日が私の60歳の誕生日でした。月末に退職を迎え、後5年は嘱託として務めることになっていました。退職金は僅かながらいただいたものの、その後の生活を考えると、とりあえず働かなければならず、展覧会の企画や企業の広報の仕事を引き受けましたが、同時に文章を書くことも始めました。ちょうど中日新聞の記者から連載を依頼されたので、「やきものの思想」を毎月1回、12カ月連載することになりました。地震の被害地に行って支援活動も考えましたが、今、自分が置かれている立場をもう一度真剣に考えることの大切さを思って、中国陶磁の本質とはなにか、朝鮮陶磁の本質とは何か、日本のやきものの本質とは何か、ということを考えてみようと思ったのです。そのような中で、陶芸家の三輪休雪氏から、「『陶芸』というけれども、これまでは技術と造形という陶の部分しか語られてこなかった。君がやっと芸の部分のやきものの本質を語り始めた」と励まされ、その連載が縁となって、日本経済新聞に「美の十選-破格の陶芸」を連載し、LIXILギャラリーにて「現代陶芸の思想」の講演が始まりました。
これからの連載について
やきもの曼陀羅の連載を始めるにあたって、まずは親しみやすいテーマとして「料理と器」を選びました。やきものそのものについてのみ語るのではなく、料理とやきもの、花とやきもの、茶の湯とやきもの、建築とやきものなど、やきもののある暮らしについて書いてみたいと思っています。人類にとってやきものはもっとも古い芸術品であり、人が暮らしていく上でなくてはならない存在です。やきものの原点として縄文土器があります。縄文土器から見えてくる日本人の暮らしや感性には限りない興味があります。