やきもの曼荼羅[51]日本のやきもの33 美濃焼(二)

志野の名称について

 堺の大茶人・武野紹鷗(じょうおう)が所持していたという白天目茶碗(二碗)があります。一つは尾州・徳川家に伝来し、もう一つは加賀・前田家に伝来します。加賀・前田家伝来の茶碗は、内箱蓋表に千利休が「紹鷗せと白天目」と墨で書き付けており、紹鷗の遺愛の茶碗であったことが分かります。この二碗は、志野の先駆をなす茶碗であると推察されています。志野の名称は、室町時代の茶会記に「志野茶碗」として登場します。天王寺屋・津田宗達の『天王寺屋会記』の1553年(天文22年)12月9日を初出とする、この「志野茶碗」は現在でいうところのやきものとしての志野ではなく、中国製の唐物茶碗のことで、所有者であった志野氏の名を冠したものといわれています。

 白いやきものとしての志野という名称は、江戸時代・18世紀以降の山科道安が近衛家熙の言行を集録した『槐記(かいき)』や尾形乾山の陶法伝書『陶工必用』などに「志野」「篠」と見られますが、志野という名称が用いられるようになった理由は明らかではありません。志野の出現時期については、1586年(天正14年)の『松屋会記』の「久政日記」にある「セト白茶碗」を志野と考えて1580年代とされていましたが、現在では、大坂城の発掘調査で1598年(慶長3年)以降に初めて志野が登場するところから、志野の誕生を16世紀末とする考え方が有力のようです。茶陶志野の優品が作られたのは、美濃の中でも土岐市北部から可児市にかけての地域で、久尻(くじり)・高根・大萱(おおがや)などで作られました。量産器種としての志野は、これ以外の地域でも多く作られ、連房式登窯導入以降には美濃全域のほか、瀬戸にまで及んでいます。

絵志野一重口水指

絵志野一重口水指 美濃 桃山時代・17世紀 高13.2センチ 径17.7センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 志野の水指には、口作りが矢筈口(やはずぐち)のものと姥口(うばぐち)のものがありますが、この水指はその前者で、元は矢筈口をなす口縁の作りでしたが、破損したのか、切り取られて、今は一重口に仕立てられています。胴には、鉄絵で橋の絵を奔放に描いています。底作りは糸切痕をそのまま残して荒々しい景色をなし、土見せとなった釉切れの景色、縦箆(たてへら)の無造作な削りなど、絵志野水指の典型的な特徴が随所に備わっています。

志野の種類

 志野を分類すると、白天目、無地志野、絵志野、鼠志野、赤志野、紅志野、練志野などに区別されます。これらの名称は近年になって付けられたもので、古くはどれも志野と呼ばれていました。長石単味の志野が完成すると、それに技巧を加えて、赤志野・鼠志野・紅志野が焼かれ、また白土に赤土を練り込んだり、赤土に白土を練り込んだりした練志野など、色調や味わいの異なる志野が作られました。

白天目 志野では一番古い手で、武野紹鴎所持と伝えられている名物白天目茶碗が知られています。いずれも建盞(けんさん)風の天目ですが、志野釉(長石釉)が掛かり、白無地なのが特徴です。

無地志野 白い土に、白い長石釉が厚くかかり、鉄絵の文様や彫紋様のないものを言います。白天目や天目形の志野もこの中に入ります。「無地志野茶碗 銘『卯の花』」などが知られています。

絵志野 絵志野とは、俗に鬼板(おにいた)と呼んでいる天然産の酸化鉄をよく擂(す)って鉄絵具とし、素地に簡単な文様を描き、その上から厚い長石釉をかけて焼いたものを言います。志野の名作と称されるものは、ほとんどが絵志野です。重文の「志野葦文矢筈口水指 銘『古岸』」(畠山記念館蔵)や「志野山水文矢筈口水指」(香雪美術館蔵)など、多くの名品があります。

鼠志野 白い素地に鉄分の多い泥をずっぽりと化粧し、これを掻き落として文様を描き、その上から厚い志野釉を掛けたものをいいます。還元炎で焼成すると熱い志野釉を透かして鼠色に見えるので、俗にこれを鼠志野と呼んでいますが、これは昭和になってから付けられた名称です。鼠志野には彫文様のない無地のものもありますが、一見、白象嵌のように見えます。赤土の層を掻き落として彫文様を加えてあるものの方が多いようです。重要文化財「鼠志野亀甲文茶碗 銘『峯紅葉』」(五島美術館蔵)や重要美術品「鼠志野茶碗 銘『山端』」(根津美術館蔵)は鼠志野の代表的な名碗として知られています。

赤志野 鼠志野と同じように、素地に鉄分の多い土を化粧し、その上から志野釉を掛けたものですが、釉薬が薄く、全面に赤くこげたものを赤志野と呼んでいます。赤志野は赤土の化粧のないものもあります。白い素地に志野釉を薄く掛けると、素地と釉薬に含まれているわずかな鉄分がこげて赤くなることがあり、これを赤志野と呼んでいます。志野の香炉中、第一の名品として声価の高い「赤志野草文香炉」(個人蔵)が有名です。

紅志野 俗に「赤ラク」と呼ばれています。赤志野より鉄分の少ない泥を化粧したもので、この上にさらに鬼板(おにいた)で文様を描いたものもあります。紅志野は、赤志野に比べると薄手で、どこか安っぽい感じがします。「紅志野茶碗 銘『夕陽(せきよう)』」(個人蔵)が知られています。

練込志野 志野の練り上げ手と呼んでいるのは、白土と赤土を練り合わせたものです。練り上げ手の上に、さらに鉄絵具で文様を描いたものもあります。「練志野秋風文字水指」(個人蔵)や「練志野いろは文字水指」(個人蔵)が知られています。

鼠志野茶碗

鼠志野茶碗 桃山時代・17世紀 高6.2センチ 径11.9センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 半筒形の茶碗は、志野茶碗の基本形と言われています。轆轤で半筒形に成形していますが、あたかも手捏ねのような趣を漂わせています。轆轤成形のあと、指先で歪ませ、箆で削ぎ落すことによって微妙な変化を生み、腰から胴に掛けての膨らみがとても魅力的です。鬼板をかなり厚く打って、志野釉をむらむらと粗放に掛けることで、麁相(そそう)の美を表しています。