やきもの曼荼羅[22]日本のやきもの5 繕いの美

継ぎ方いろいろ

 破損した磁器を焼継ぎという手法で修理して再使用する習慣が、江戸時代寛政(1800年)頃から明治・大正時代まで日常的に行われていました。焼継とは、破損した磁器を白玉と呼ぶ鉛ガラスを用いて低温で焼く接着法で、江戸・京都・大坂を中心に流行し、焼継師という専門の職人もいたようです。寛政というと、庶民に倹約を強制したことや極端な思想統制を行なった「寛政の改革」で知られていますが、焼継師という専門職の誕生もそうした時代背景と無関係ではありません。焼継ぎはもっぱら磁器に用いられましたが、従来のやきものの修理法は鎹(かすがい)継ぎや漆継ぎ、また呼継(よびつ)ぎという手法でした。

中国の継ぎ方

青磁茶碗(正面)銘 馬蝗絆 中国・南宋時代(13世紀) 龍泉窯 東京国立博物館所蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp

 鎹継ぎで有名なのは、東京国立博物館所蔵の重要文化財「青磁茶碗 銘 馬蝗絆(ばこうはん)」です。中国龍泉窯で作られた砧青磁で、青緑色の釉色が澄み渡った輪花形の優美な茶碗です。江戸時代中期の漢学者・伊藤東涯(とうがい)が記した『馬蝗絆茶甌記』によれば、それは1175年(安元元年)頃に平重盛が宋の育王山に黄金を寄付した時、同寺の仏照禅師から贈られたもので、後の室町幕府8代将軍・足利義政の所蔵の頃にひびが入ったので、これに代わる品物を明国へ求めたところ、当時の中国にはこのような優れた青磁茶碗はすでになく、ひび割れを鎹で止めて送り返してきました。その鎹を馬の尾に止まる蝗(いなご)に見立てて命銘し、その銘によって評価が高まったといわれています。この大胆な繕いは、当時の中国における修理法です。

日本の継ぎ方

 漆継ぎは破損部分を漆で継ぎ、その上を朱塗りで固め金粉を蒔(ま)いて仕上げる修理法で、金繕いともいいます。有名なものでは重要文化財「井戸茶碗 銘 筒井筒」があります。筒井順慶から豊臣秀吉に献じられもので、秀吉が大切にしていた茶碗を、あるとき小姓(こしょう)が割ってしまい、あやうく手討ちになるところを、同席していた細川幽斎が『伊勢物語』の古歌をもじって「筒井筒五つにわれし井戸茶碗 とがをば我に負ひにけらしな」と狂歌して救った話は、あまりにも有名です。

呼継ぎの美の誕生

 呼継ぎとは破損した器物の繕いを、他の器物の破片の同型のもので継ぎ合わせることです。もっとも古い例では、桃山時代の茶人・織田有楽によって継がれ、細川三斎の秘蔵するところとなった永青文庫所蔵の「瀬戸筒茶碗」があります。この茶碗には染付の破片がV字形に呼継ぎされています。これらに共通するのは茶碗にまつわる物語性で、こうした繕いを景色として見立てる遊び心の伝統があって、やがて表現としての「繕いの美」が生まれました。

光悦の茶碗に見る繕いの美

 畠山記念館所蔵の重要文化財「赤楽茶碗 銘 雪峰(せっぽう)」は金繕いの茶碗です。江戸時代初期の書家、工芸家、刀剣の鑑定・研磨・浄拭(ぬぐい)を家業とした本阿弥光悦(1558~1637)作の手捏(てづく)ね茶碗です。器形はこんもりとした椀形(わんなり)で、総体にくらべて小振りな円形高台が、底にくい込むように付いています。高台内の削りは深く、畳付には目跡が五ヵ所残っています。高台脇には深い溝が巡り、その高台脇から胴・口縁にかけて大小三筋の火割れが縦に生じています。その反面の口縁から胴にかけても窯傷があり、いずれも金繕いがなされています。見込みは深くて広く、素地は鉄分のある赤土で、透明釉が厚く掛かり、口縁と胴の一部に失透(しっとう)性の白釉が重ね掛けされています。「雪峰」の銘は、その白釉を山の峰に降り積もる白雪に、火割れを雪解けの渓流になぞらえて、光悦自身が命銘したといわれています。光悦の赤楽茶碗には窯傷が多いといいますが、「雪峰」の金繕いは通常の金繕いを超えて、光悦の造形表現となっています。江戸時代後期の『茶器名物図彙(ずい)』には「雪峰 赤 鷹峰焼なり 云々」とありますから、通常、黒楽茶碗は樂家にて焼きますが、この茶碗は光悦自らが鷹ヶ峰で焼いたものかも知れません。光悦をよく知る灰屋紹益(じょうえき)は、「利休亡きあと今の世に茶の心を深く知る者は大虚庵光悦ぐらいのものか」といっています。若い時の光悦はかなり名物道具に凝ったようですが、晩年はそうした名物に心を奪われることもなく、ごく普通の雑器で茶を楽しんだといいます。光悦は京の上層町衆の出自でしたが、その暮らしはすこぶる質素で、粗末な小さな家に住み、小者一人、飯炊き一人のほか使用人を置かなかったといいます。その生き方には、法華宗に深く帰依した母・妙秀の教えがあったようです。そうした哲学がなければ、光悦茶碗に見る「繕いの美」は生まれなかっただろうと思います。

「継ぐ」という文化

 平安時代に作られた「西本願寺本三十六人家集」には、重継(かさねつ)ぎ、切継(きりつ)ぎ、破継(やぶりつ)ぎといった様々な装飾技法が駆使されています。王朝人が興じた蹴鞠(けまり)は、いかに上手に受けて相手にパスするかという遊戯で、勝ち負けを競う競技ではありません。座の文学である連句は、前の句の空気を読んで次の句に転じていく日本の文学ですが、これも言葉で繋いでいく遊戯です。このように「繋ぐ」というのは、日本文化の特質といってもいいでしょう。