やきもの曼荼羅[45]日本のやきもの27 上野焼(一)

大名茶人・細川忠興

 戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将・細川忠興(ただおき、1563~1645)は細川藤孝(号・幽斎)の長男で大名茶人でもありました。父・幽斎ゆずりの教養で和歌・連歌・絵画・能楽など嗜み、茶の湯は利休七哲の一人に数えられ、利休の堺ちっ居下向の際には、古田織部とともに淀に赴き見送った話は有名です。また、明智光秀の娘・玉(ガラシャ夫人)をめとったことでも知られています。秀吉没後は徳川家康に親近し、関ケ原の戦の功により、1602年(慶長7年)豊前小倉藩39万石の領主として中津から小倉に入封し、肥前の唐津領内にいた朝鮮人の陶工・尊楷(そんかい)を招き上野村に窯を開いたのが、上野焼(あがのやき)はじまりといわれています。上野焼には、藩主のお楽しみ窯として小倉城下に築かれた菜園場窯のほか、釜ノ口窯、岩屋高麗窯、皿山本窯などの古窯跡があります。

菜園場窯(北九州市小倉北区菜園場2丁目)

 菜園場窯は、藩主自らの指導による茶陶の制作を目的として築かれた窯です。主に茶碗・茶入・水指・向付などを中心に茶陶が作られました。『角川日本陶磁大辞典』によると、その操業期は1625年(元和10年、一説に1603年頃)から1632年(寛永9年)ごろにかけてと推定され、上野諸窯のなかでは最初期に属するもの、とありますが、「出土遺物少なくて、全体像を把握しにくいが、腰高の水指片や丸味をもった削り出し高台片。又、刷毛や鉄絵付の装飾性。あるいは、匣鉢の使用等から、釜ノ口窯より先行した窯とは思えない」(「上野焼四百年」展 毛利茂樹「上野焼」)という説もあります。毛利説では「釜ノ口窯の操業が軌道に乗った後、注文する側も、注文を受ける側も小倉と田川では遠路の為に、とりあえずの注文に応ずべく小規模な窯を城下に造ったのであろう」とありますが、詳しいことは不明です。

上野焼とは

 上野焼の特徴は、藩主の指導により茶陶として作られたため、全体に器形が薄作りで格調の高い風合いを醸し出していることです。また、高台が高く、裾広がりの撥(ばち)高台のかたちをしています。釉薬は鉄釉・藁白(わらはく)釉・透明釉・緑青(ろくしょう)釉などを使用し、器の彩色や肌合い、光沢、模様なども多種多様です。上野焼の代表的な釉薬として、酸化銅を使った緑青釉が挙げられますが、鮮やかな青色が魅力的です。三井記念美術館蔵の「掛分緑釉流手鉢」や梅澤記念館蔵の「朝鮮唐津足付皿」などが、上野焼の特徴を示した作品として知られていますが、特別展『大名茶陶—高取焼』展(2005年 福岡市美術館)の図録では「高取焼・内ヶ磯窯」の作品として掲載されています。さらなる研究が待たれます。

耳付水指 釜ノ口窯

耳付水指 高17.2センチ 口径20.3センチ 釜ノ口窯 福岡東洋陶磁美術館蔵

 桃山時代の茶人の趣向をほうふつとさせる豪快な水指です。かたちは胴締めで、幅広い肩には大きな管耳が付き、肩より胴荷にかけては白釉が流れています。上野焼の初期の釜ノ口窯のものと思われます。

朝鮮陶工・尊楷とその子孫

 尊楷(そんかい、?~1654)は朝鮮の陶工で、文禄・慶長の役(1592~98)の際、加藤清正が釜山(ふざん)から連れ帰り、帰化したのちに改名、上野喜蔵高国(あがのきぞうたかくに)と名乗ります。細川忠興が豊前国小倉に入封の折に招かれて、上野村に窯を築いたと伝えられています。尊楷には、長男・忠兵衛、二男・藤四郎、三男・孫左衛門、長女婿・渡久左衛門の四人の子供がいます。尊楷の出身について渡尚勢(わたりひさなり)の「上野焼の由来書」には、「一、朝鮮国釜山海の城主尊益の子に尊楷なる物あり。尊益は同国泗川縣十時郷に住せる甫快、字は如公の五世の孫にして、其の祖は明の名族と称す」とあり、渡源彦の「上野焼の沿革」にも「一、朝鮮釜山城の城主、尊益、(甫汝公五代の孫)上野喜蔵高国(尊益の子・尊楷)」とあります。2000年(平成12年)11月5日、韓国の小説家の招待で、渡久兵衛と十時(ととき)開次の両氏が訪韓しました。慶尚道泗川県安陳方村の十時(ボジコル)と呼ばれるところが、尊楷の出身地とのことです。

釜ノ口窯(福岡県田川郡福智町上野)

 細川忠興が小倉城に入城した1602年(慶長7年)に開窯し、忠興の子・忠利が肥後に転封になる1632年(寛永9年)に閉窯したと推察されています。尊楷と長男・忠兵衛、次男・藤四郎は忠興に従って八代郡奈良木村(現・八代市奈良木町)に移り、八代焼をはじめます。その30年という短い期間に上野焼の基礎が確立、本流として活動が開始されます。その特徴といわれる几帳面な作行からは、藩主の唐物趣向の傾向が感じられます。中国青磁の獣足付盤とよく似た大小の小鉢などや天目形茶碗が多く作られています。

鉄絵付葉形皿 五客 釜ノ口窯

鉄絵付葉形皿 五客 釜ノ口窯 径17センチ×15.9センチ 高5.5センチ 福岡東洋陶磁美術館蔵

 素朴な葉脈を鉄絵で描いた斬新な意匠の皿5客で、上野焼・釜ノ口窯の作品です。ロクロで皿を作り、それを素焼型に軽く押さえて、弁を箆(へら)で切り落とします。灰釉の総掛けで、5つの目跡が確認されます。