山瀬の謎と、その土の発見
かれこれ20年以上前のことですが、唐津の陶芸家・田中佐次郎氏の陶房を訪ねたことがありました。田中氏の陶房は、唐津湾の南東に連なる山脈の中にあり、標高500メートル、東松浦郡浜玉町の(山瀬の窯跡のある)山中にあります。山奥の一軒家なので、むろん水道もなく、澤の水を引いての生活です。通された部屋の鴨居の上には長い槍が掛かっており、まさに昔さながらの暮らしぶりです。その時、紹介されたのが陶芸家に陶土を販売している「伊陶屋」の須藤善光氏でした。
須藤氏の話によれば、「山瀬の窯跡に入ってすぐに気づくことは、窯跡周辺にも、ここ(田中氏の陶房)に至る道中にも、粘土らしきものはない。一体、どこから土が運ばれたのか、解けない謎だ」ということでした。山瀬の土は、耐火度SK35番(*)という高級な耐火粘土です。ところが、唐津にも、その周辺のどの地区にも、山瀬に使用されたような高耐火度の粘土は産出しません。山中を探し回っていると、田中氏の陶房の北約1キロ地点に水溜りがあり、その底の方に何やら白いものが見えたそうです。その時は「水が冷たく、水深も3メートルはありそうで、断念せざるを得なかった」とのことです。しかし、チャンスは突然に現れました。1978年(昭和53年)は異常気象で北九州の水瓶はどこも干上がっていました。山瀬の水溜りも完全に干上がって、マサ土の間に厚さ10センチ程度の粘土層の帯びが露出したので、サンプルを採集してX線回析で調べてみると、完全なハロイサイトと分かりました。さらに、焼成実験によって山瀬窯で焼かれた古唐津の原料に間違いないことが確認さたとのことです。
山瀬(唐津)の土と山清(韓国)の土の共通点
須藤氏によれば「唐津の土を分類すると、大別して山瀬とその他に分けられる」とのことでした。他の土が、珪石、長石、セリサイト、カオリナイト、ハロイサイトなど、混合した成分で出来ているのに対して、山瀬はハロイサイトだけの単成分で出来ています。しかも、X線で調べてみると、ハロイサイトのピークが鮮明で結晶がきれいであることが分かりました。しかし、結晶がきれいであることは、陶土としては可塑性不足の原因になります。話は飛びますが、韓国の慶尚南道山清郡放牧里で窯を築いている某氏の陶房で1つの陶片を見せられ、その陶片を持ち帰って分析してみると、SK33番の耐火度を示し、ハロイサイト単味であることが分かりました。この山清の土と山瀬の土の共通点が見つかったのです。そのことから、須藤氏は古唐津が朝鮮陶工の手によって焼かれたのではないか。山清の陶工なら、山瀬の土を発見することができたかもしれないと推測されています。
唐津焼は、見た目は陶器だが、本質的な部分は磁器である
須藤氏によれば「唐津焼は見た目は陶器であるが、本質的な部分は磁器である」とのことです。すなわち、唐津の陶土は成分組織が磁器的であるということです。通常、陶器と磁器の違いというと、磁器の特徴は、白いこと、水が沁み込まないこと、あるいは透光性があることなどが挙げられます。それに対して陶器は、焼き締まりが悪く、水も染み込み、透光性もないのが特徴です。さらに、「陶器土の代表とも言える萩土や志野陶土は、圧倒的に粘土成分が多く、どんなに微粒子に砕いて高温で焼成しても、磁器にはならない。正確に言えば、通常の磁器を焼いている温度では磁器化しないということである。ところが、唐津の土は、山瀬を例外として全て磁器化する。組成を見ればクオーツと長石が多く、磁器土にきわめて近いのである。違いは鉄分やチタンなど、夾雑物(きょうざつぶつ)が多いこと、粒度分布が粗い方と微粒子成分に分かれていて、両極にピークを作っていること、つまり中間粒子が少ないことが特徴として挙げられる」と述べています。実は、中国にも韓国にも「陶器」という概念はありません。あるのは「磁器」もしくは「瓷器」です。日本では、磁器も含めて陶器と呼ぶことがありますが、その違いははっきり認識しておく必要があると思います。
古唐津の土の謎を解く鍵は、櫨ノ谷の窯跡だった
「現代の唐津が古唐津を越えられないのは、陶土が違うからだ」というのが、須藤氏の説です。その謎を解く鍵は、櫨ノ谷(はぜのたに)の窯跡にありました。陶片(上の写真)は出土しますが、どこを探しても陶土となりうる粘土層が見つかりません。どうしてこんな場所に窯を築いたのだろうかと考えた時に、砂岩(下の写真)に突き当たったそうです。砂岩を細かく砕き、粘土化させることによって、古唐津の原料に近いものが出来ました。古唐津の窯の多くは砂岩を用いているのではないかと、須藤氏は言います。その説に誰よりも早く共感し、挑戦されたのが吉野靖義氏です。須藤氏は、「朝鮮から来た陶工は磁器を焼くつもりだったのではないか」と言います。しかし、原料の白磁鉱石が見つからなかったため、代わりに砂岩を改良して陶土を作り、磁器焼成用の窯で焼いたのではないか。ちなみに、古伊万里の原料である有田泉山の白磁鉱石も、砂岩と同じで改良しないと陶土にはなりません。当時の陶工がどんな方法で砂岩を陶土に変えたかは分かりませんが、彼らが持ち込んだ陶土製造法こそが、唐津を唐津たらしめ、そして伊万里の磁器を生んだ、もっとも大事な技術なのだと、須藤氏は述べています。近年の韓国陶磁の研究では、韓国のやきものは磁器を求めての展開の上にあったと言います。であれば、須藤氏の砂岩説によって、唐津の土の謎が解けたのではないかと思います。
*耐火度の単位(SK):粘土などの素材が形を維持できずに溶けてしまう温度(溶倒温度)によって示す単位。SKは窯用高温計のゼーゲルコーン(独・Segerkegel)が由来