やきもの曼荼羅[28]日本のやきもの11 唐津(其の四)

瀬戸唐津という名称について

 瀬戸唐津という名称も、奥高麗と同様究めて曖昧な呼び名です。釉色が瀬戸に似ているので、この呼び名があります。『目利口伝(めききくでん)』には、「瀬戸唐津は唐津の窯にて焼く、黄瀬戸の薬をかける也、白薬あり、此の時分の黄瀬戸薬ははや黄にあらず、白し、此手土あらきせいか底の所土ほつれあり」とあります。この瀬戸唐津には、朝顔形の口辺の開いた浅い皮鯨(かわくじら)の手と、本手瀬戸唐津(ほんてせとからつ)と称せられる深めの茶碗の2種類があります。

瀬戸唐津の特徴について

瀬戸唐津茶碗 福岡東洋陶磁美術館蔵

 瀬戸唐津は、釉薬だちが瀬戸の志野(当時は美濃焼も瀬戸の名称で呼ばれていました)のように見えるところからの呼び名です。『目利口伝』には黄瀬戸とありますが、志野と捉えた方がいいでしょう。しかし、土味は唐津特有のちりめん皺(しわ)のあるものです。
 本手瀬戸唐津は、砂気の多い白土で、ちりめん皺がよく出ています。釉は長石単味で、灰白、白、ビワ色で海華皮(かいらぎ)が出ています。柿の蔕(へた)、青井戸、蕎麦、呉器(ごき)などの形があり、見込みの鏡には目跡が3カ所もしくは4カ所あります。岸岳の帆柱窯で作られたと言われています。写真の瀬戸唐津茶碗は、福岡東洋陶磁美術館所蔵の本手瀬戸唐津に属する茶碗です。ざんぐりとした砂気の多い土を使って、見込みには目跡があり、腰のあたりに一本の刻線がめぐらされています。
皮鯨の手は、口縁部に鉄絵具が塗られ、あたかも鯨の皮に似ているところから、皮鯨と呼ばれます。皮鯨の手の茶碗は、蕎麦型の本手瀬戸唐津を写したものです。鉄分の少ない砂気の多い白土で、見込みの鏡に目跡が3カ所あり、高台内の兜巾の部分に艶があります。長石釉がビワ色や灰白に発色します。18世紀以降、唐津の椎の峯で作られたと言われています。この皮鯨のあるものは夏茶碗の雄として、茶人の間で大変尊ばれています。そのため、唐津の以外の京都で作られたものを「京唐津」、美濃で作られたものを「美濃唐津」と呼んでいます。

朝鮮唐津という名称について

 「朝鮮唐津」という名称は、朝鮮か唐津か区別がつかないものが多いところから付けられた名称と言われています。しかし、間違いなく唐津で生まれたやきものです。『目利口伝』には「朝鮮唐津といふは白き薬飛々に有、体朝鮮焼也」とあります。これは、叩きもしくは板起こしで、白釉すなわち藁灰釉と鉄の黒飴釉が飛び飛びに柄杓(ひしゃく)掛けしたもので、出光美術館蔵の朝鮮唐津耳付花入が有名ですが、古い手のものとはかなり趣が違います。唐津焼研究の先駆者・金原陶片の説によれば、「朝鮮唐津には二種類あって、古くは叩き手のものをいい、後で『目利口伝』にあるようなものも朝鮮唐津というようになった」とあります。古い手の朝鮮唐津の底は板起こしで、貝高台もしくは籾殻(もみがら)高台で、内側には青海波文(せいかいはもん)があり、全体に木灰釉が掛けられています。

朝鮮唐津が焼かれた古窯跡

 朝鮮唐津には袋物が多く、最初から茶器として作られたものが多いと言われています。種類としては、水指、花生、徳利などが生産されていました。水指の優れたものは甕屋(かめや)の谷、焼山、藤の川内、阿房谷(あぼんたに)などで焼かれていました。中でも藤の川内茅(かや)の谷窯で焼かれたものが最も有名なようです。最近の発掘では、山瀬上(やませかみ)、山瀬下(やませしも)、阿房谷、金石原広谷(かないしはらひろたに)の諸窯でも焼かれていたことが報告されています。
 例外として、轆轤(ろくろ)作りで茶碗、盃、皿があるようですが、朝鮮唐津の茶碗はあまり見かけたことがありません。また盃は、私の知る限りでは1点だけです。似たものに、藁灰釉と鉄釉を左右に掛け分けた盃が数点ありますが、これらは斑唐津 (まだらからつ)に分類されています。藤の川内茅の谷窯から藁灰釉と黒飴釉を左右に掛け分けた皿が出土していると聞いていますが、残念ながら私はまだ実見していません。一度、ぜひ見たいものだと思っています。また、高取焼の内ケ磯(うちがそ)窯でも朝鮮唐津の掛け分けが焼かれています。骨董の世界では、高取焼の朝鮮唐津が、古唐津として売られているものもあります。

朝鮮唐津の名品

朝鮮唐津徳利 個人蔵

 朝鮮唐津の名品を挙げるなら、まず逸翁美術館蔵の朝鮮唐津徳利を挙げたいと思います。高さ23.3センチ、口径15.8センチ、底径9.5センチの堂々としたもので、粉引の徳利に似た大胆な作振りで、朝鮮唐津徳利の王者といった風格のものです。朝鮮唐津徳利で、小振りなものは振出しとして人気があります。写真の朝鮮唐津徳利も、振出しとして使われています。私の尊敬する愛陶家の旧蔵品で、いまは私の知人が愛蔵しています。花生では出光美術館蔵の朝鮮唐津耳付花入、逸翁美術館蔵の叩き朝鮮唐津片耳花生、田中丸コレクション(福岡市美術館寄託)の朝鮮唐津花入 銘「和美助」、藤田美術館蔵の朝鮮唐津水指 銘「廬瀑」などが有名です。

朝鮮唐津に挑戦する陶芸家

 陶芸家の徳澤守俊さんは、福岡県粕屋郡須恵町皿山で割竹式の登り窯を築窯し、朝鮮唐津に挑戦しています。朝鮮唐津では彼の右に出る作家はいません。その徳澤さんが朝鮮唐津に挑戦する理由として、「唐津陶は一見単純に見えますが土も釉薬も多様なやきものです。その中で造り手の思うに任せぬ朝鮮唐津を選んだのは、やはり釉調の美しさです。長年挑んでいても、いつも焼き上がりは『心が躍る』『沈む』の繰り返しです。絵や彫りは手のあとがそのとおりに表現されます。しかし、朝鮮唐津は絵の具の色にはない不思議な自然の彩りが生まれます」と語っています。