やきもの曼荼羅[31]日本のやきもの13 唐津(其の七)

唐津素麺手

 「唐津素麺手(そうめんで)」とは黒唐津の一種です。中国明時代の法花(ほうか)の陶技の影響を受けて、鉄釉の上から失透性の長石釉で模様を描いています。武雄市武内町黒牟田(くろむた)の向家高麗窯(むこうやこうらいがま)で焼かれたもので、耳付壺、茶碗、皿、鉢、水指、茶入、徳利、盃などにその技法が用いられています。

蛇蝎唐津

 「蛇蝎(じゃかつ)唐津」とは黒唐津の一種です。そのルーツは中国明末の呉須餅花手と言われています。黒釉の上に失透性の長石釉を掛けて焼成したもので、釉肌が蛇やとかげの肌に似ているところから「蛇蝎唐津」と呼ばれています。あまり数は多くありませんが、沓茶碗(くつぢゃわん)や沓鉢に優れたものがあります。李祥古場(りしょうこば)、祥古谷(しょうこだに)猪木場、古那甲(こなこう)の辻、牛石(うしいし)などの諸窯で焼かれています。

 この写真は、福岡東洋陶磁美術館所蔵の蛇蝎唐津の沓型茶碗です。黒い釉の上に長石釉を掛けた蛇蝎の釉膚(ゆうはだ)が見られ、祥古谷窯で焼かれたものと言われています。腰は丸く胴を締め、高台は低く削り出されています。

辰砂唐津

 「辰砂(しんしゃ)唐津」とは、釉に含まれる銅が還元炎によって赤く発色したものを呼びます。銅は還元炎によって赤、酸化炎によっては緑に発色しますが、窯の中で還元後、酸化炎によって焼成されると、赤と緑の窯変の美が見られます。辰砂唐津を焼成した窯としては、伊万里市波多町の椎の峯山窯、宇土の谷窯などが知られています。甕屋(かめや)の谷窯グループの窯印「L」字銘のある「絵唐津沓茶碗」(兵庫県芦屋市・滴翠美術館蔵)は、正面右手に銅釉が厚く掛かり、赤く発色しています。織部沓茶碗は、ほとんどが緑に発色していますが、この絵唐津沓茶碗は織部沓茶碗と器形はまったく同じです。

二彩唐津

 「二彩唐津」とは、白土で白化粧した上に鉄釉と銅釉を使って褐色と緑色の二彩で松文、山文などを描いたもの、または鉄釉と銅釉を柄杓(ひしゃく)掛けしたものを「二彩唐津」と呼びます。皿、鉢、水甕、花生などに、この手法が用いられています。この「二彩唐津」は、弓野山、川古窯の谷などで焼成されていますが、現在では「武雄唐津」という名前で呼ばれています。民芸運動家の柳宗悦が早くに着目し、江戸時代後期の《鉄絵緑彩松樹文大平鉢》に見られるような雑器の美として評価されましたが、現在では伊万里焼とならんで国内に大きな市場を持ち、江戸時代前期には海外へも盛んに輸出されたことが明らかになりました。「武雄唐津」は中国の「華南三彩」の影響が指摘されていますが、「武雄唐津」の釉が銅を用いているのは対し、「華南三彩」は鉛を用いている点で異なります。よって、技術的な影響ではなく意匠的な影響があったものと思われます。この「武雄唐津」研究成果の陰には、私の親友で人間国宝の中島宏氏の功績が大きく存在します。彼は早くから「武雄唐津」を収集し、その魅力を語ってきました。上の写真の「鉄絵緑彩岩松樹文甕」は中島宏コレクション(佐賀県立九州陶磁文化館)の所蔵品です。

彫唐津・彫絵唐津

 「彫唐津」は、最初期の岸岳系の唐津焼から見られる装飾です。焼成前の器体に箆(へら)などで線彫りした上から長石釉を掛けて焼成したものです。茶碗が代表的な作品です。斑釉や黒釉を掛けたものに彫文を施したものもありますが、普通は斑唐津や黒唐津に分類されています。また、彫りの部分に鉄絵を施した彫絵唐津も少量ではありますが焼かれています。岸岳系の飯洞甕下窯(はんどうがめしもがま)から陶片が出土しています。

 この写真は、高取家コレクションの「灰釉彫文茶碗 銘『玄海』」で、彫唐津を代表する茶碗です。岸岳系の飯洞甕下窯から類似の破片が出土しているので、恐らく同じ窯で焼かれたものと思われます。半筒形の茶碗で胴をほぼ四方に作り、高台は二重高台に削り出されています。胴側はわずかに引き締まり、見込みには茶溜りがなく平らに作られています。胴の6ヶ所に深く強い箆彫りで?文様がきざまれ、内側に長石釉を厚く掛けています。釉膚にはやや荒い貫入が生じていますが、力感のあふれた茶碗です。

備前唐津

 「備前唐津」とは、まったく釉を掛けていない備前風のやきもののことで、釉肌や作振りが備前に似ているものを「備前唐津」と呼びます。恐らく備前を倣って作られたものと思われますが、作品としては、水指、徳利などが見られます。

献上唐津

 唐津の藩主が、将軍家や大名たちに献上するために作らせた唐津焼を「献上唐津」と呼びます。白い細かいこし土を使い、朝鮮の三島を写した白象嵌のものや、染付や鉄絵文様のもの、御本手の茶碗などがあります。土井藩時代には古唐津の風格のあるものが作られましたが、後の水野・小笠原時代には京風の洒脱軽妙な作風に変わり、唐津らしい素朴な味わいはなくなります。