■韓国のやきもの史
韓国を代表するやきものといえば、高麗(こうらい)青磁と李朝陶磁ですが、韓国陶磁の歴史は紀元前五千年頃の低火度焼成による突帯文(とったいもん)土器にはじまります。次に斜線文を刻んだ櫛目文(くしめもん)土器が広がります。紀元前1000年頃には、弥生土器のように何も文様をつけない無文(むもん)土器へと変わり、紀元前後には中国から轆轤(ろくろ)と窯の技術が伝わり、瓦のような瓦質(がしつ)土器が登場します。そして、還元焔焼成による硬質な土器が完成するのは三国時代になってからで、五世紀以降、新羅(しらぎ)・伽耶(かや)・百済(くだら)の各地方では堅く焼き締まった陶質土器が焼かれるようになります。その焼成技術がわが国にも伝わり、須恵器と呼ばれる陶質土器が誕生しました。高麗青磁は、統一新羅時代に焼かれた自然釉の掛かった陶質土器という基盤があって、やがて誕生を迎えます。
■高麗青磁の誕生
高麗王朝時代(918~1392年)になると、10世紀頃に青磁が誕生します。高麗は王を中心とした強力な中央集権国家を樹立させるため中国の制度に従って科挙(かきょ)制度を実施し、中国の思想や文化を積極的に取り入れました。三国時代に伝えられた仏教が、11世紀前半には高麗仏教として広く浸透し、精神を清める手段として喫茶の習慣が広がり、蛇の目高台の青磁碗が製作されました。高麗青磁は中国から越州窯(えっしゅうよう)の青磁焼成技術が伝わって発生したといわれ、現在では韓国陶磁の最高峰として広く世界中に知られることになりました。しかし、12世紀前半になると中国青磁の影響を離れ、優美流麗な高麗独自の造形的様式を確立します。そして、釉色の美しく澄んだ翡色(ひしょく)と呼ばれる淡青緑色の釉色を完成させます。翡色青磁とは越州窯の秘色(ひしょく)青磁の名にならったもので、その色合いの美しさを翡翠(かわせみ)の羽の青みに例えての呼び名です。
■徽宗皇帝が称賛した高麗青磁
中国青磁に勝るとも劣らない、当時の高麗青磁を伝える貴重な文献があります。北宋末に徽宗(きそう)皇帝の使節団の一員として高麗の都・開京(ケギョン)を訪れた徐兢(じょきょう)が記録した見聞録『宣和奉使高麗図経(せんわほうしこうらいずきょう)』です。同書によれば、「陶器の色の青きものは、麗人これを翡色という。近年いらい制作工巧、色沢もっとも佳なり」「諸器のうちただこの物もっとも精絶なり。その余はすなわち越州の古秘色、汝州の新窰器(しんようき)に大概相類する」とあり、高麗青磁を賞賛しています。
■高麗青磁の文様と技法
高麗青磁には素文の他、陰刻・陽刻・彫刻・透彫・象嵌(ぞうがん)といった彫技と、顔料で文様を施した鉄絵・鉄彩・白堆(はくつい)・辰砂(しんしゃ)などの彩色技法がありますが、その核をなすのは、陰刻・陽刻・彫刻などの文様のみで青以外の色を使用しない純青磁と青以外の色を使用する象嵌青磁の2種です。参考写真は、高麗王朝時代(12世紀頃)に作られた「青磁刻花文小瓶」です。高さ9センチの小さな瓶ですが、肩の周りには刻花文(陰刻)が見られます。
象嵌とは素地に線彫りや印花を施し、その中に地色と異なる泥を塗り込めて器面を装飾する技法で、古くは金属工芸にみられますが、螺鈿(らでん)漆器などにも応用されました。陶磁器に象嵌を施した例は中国にもありますが、加飾技法を主流にまで発展させたのは高麗青磁のみで、その彫技の卓抜さには目を見張るものがあます。中国青磁に基盤を置き独自の象嵌技法を完成させたのが高麗青磁です。この象嵌青磁がやがて変貌を遂げ、朝鮮時代の粉青沙器(日本では三島と呼ぶ)の母体となります。
■安宅コレクションの「青磁陽刻牡丹蓮花文鶴首瓶」
安宅コレクションの「青磁陽刻牡丹蓮花文鶴首瓶」(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)は、おそらく王朝貴族に向けて作られた12世紀前半の作品ではないかと思います。首が細く長く立ち上がり、その面取りが上に行くほどやや右にねじれています。小説家の立原正秋氏は、「このねじれが面白い。ねじれていびつとみてもよい。味がある。陰刻も美しい。ながめていると、首のねじれ方が道を歩いている三十女がふとたちどまり、ちょっと後ろをふりむいた、といった風姿である」とある新聞に書いていますが、実に言い得て妙です。
■朝鮮陶磁の「不足の美」
いつだったか、新国劇の俳優・島田正吾氏の小唄を聞いたことがあります。ちょっと肩の力を抜いた老紳士の小唄はなんとも粋なものです。島田氏の小唄は独特の間(ま)があり、島田流に崩(くず)した独自のものでした。この崩すという作業は正調を極めた者だけに許される業(わざ)であり、日本の芸事はこの境地に極まるように思います。不完全だからこそ美しいという「不足の美」は、日本人が発見した茶の湯の基本美学です。特に初期の高麗青磁の美にはまる日本人の美意識は、こうした茶の湯の美学と無関係ではないと思います。高麗青磁の美については、愛陶家の間で「完全の中の不完全」といういい方をよくします。それは完璧な中国陶磁の美を求めながらも完璧には成りきれない、上品であるが決して気取ってはいない、高麗青磁のやさしさを語ったものです。金太郎飴のように削っても削ってもそこにある自国の感性、そのやさしさこそが美の源泉ではないかと思います。