やきもの曼荼羅[13]中国陶磁(1)やきものの誕生

比較陶磁史のすすめ

 大文明は乾燥地帯から生まれたといいます。地中海沿岸の古代文明を育てた地域と中国の黄土台地は風土がよく似ています。中国と日本の自然の違いを比較するとよく分かりますが、中国における自然とは人間を拒絶する巨大な自然であり、故に人間の想像をはるかに超えた神仙思想や超絶技巧を駆使した造形物が生まれました。それは、人間による自然への限りない挑戦でもあったといえます。
 雨量が多く豊かな自然に恵まれた日本では小さな村落の集合は存在しましたが、中国のような強力な都市国家を形成することはありませんでした。故に縄文時代は戦争もなく一万年も続いたのだと思います。文字は、統一国家を形成する上で必要不可欠だったといってもいいでしょう。漢字が誕生した理由がそこにあります。文字を持たなかった縄文人は、逆に感性が発達したのではないかと、私は想像しています。
 中国は石の国です。石という素材には安定感があり、その石に古代人が不思議なパワーを発見し、永遠性を求めたとしてもなんら不思議はありません。つまり、文明も思想も環境の内にあるということです。人間による自然への挑戦という意味においては、中国と西洋は似ているかも知れません。中国美術が、西洋人は分かりやすい理由がそこにあります。
 一方、日本は土の国です。土という素材は絶えず変化していくという流動性を内包しています。故に永遠性を求める中国とは異なり、日本では変化を嗜好する文化が形成されました。日本人は自然を内に受け入れて、人工の芸術においても自然であることをよしとしました。これは西洋から見たら不思議なことに違いありません。なぜならば、芸術は人工のものであり、自然はその反対に位置するからです。中国のやきものはシンメトリーで左右対称なのに対して、日本のやきものは左右非対称で歪んでいます。それは、自然の形態がそうであるからで、まさに自然の摂理に叶ったものといえます。彫刻家のイサム・ノグチは、「大切なのは、意識や人智を超えた内面から生まれる真実を如何にするどくとらえ、表現できるかである」と述べています。身体という自然を通して生まれてくるからこそ、表現にも自然を求めたのでしょう。
 そういう比較陶磁史を踏まえて、これから中国陶磁の背景にある思想や、中国独自の形や文様についてお話します。

玉と青銅器の模倣としての中国陶磁

 古代中国において、中国人は天地の成りたちについて独自の考えを持っていました。それは「天円地方」、つまり天を円形、地を方形とする考え方です。玉(ぎょく)に神秘的な霊性が宿ると信じていた中国人は、この不思議な霊力の石をもって天地の祭祀(さいし)を行いました。和泉市久保惣美術館蔵の「玉獣面文琮(ぎょくじゅうめんもんそう)」は、そうした新石器時代後半、良渚(しょうしょ)文化の遺品です。東京国立博物館には、その玉琮(ぎょくそう)の形態を写した南宋官窯の「青磁琮形花瓶(せいじそうがたかへい)」重文があります。玉琮は天地をまつる祭祀に用いられたものと考えられていますが、その玉の霊力によって不老不死の力を得たり、死者の身体を未来永劫に保つことを願って多くの葬玉が作られました(写真参照=龍形玉)。玉は硬玉(こうぎょく)と軟玉(なんぎょく)の二種類に分類されますが、古代中国人がもっとも美しいと感じたのは、ネフライトと呼ばれる軟玉とのことです。選りすぐりの玉材と洗練された技巧が融合する「翠玉白菜」(台湾・故宮博物院蔵)は、究極の神品といわれています。
 青銅器は商・周(しょう・しゅう)時代に信仰された天の神々や祖先の霊を祭るための祭器(さいき)といわれています(写真参照=青銅器)。青銅器は銅と錫(すず)、および鉛を加えて作る合金で鋳型を用いて制作されます。この青銅器の原料はすべて鉱物です。北宋末の徽宗(きそう)皇帝は『宣和殿博古図(せんわでんはっこず)』という書物を作らせ、その器形の研究に費やしました。その数は六千余というから驚くべきマニアぶりです。

理想の器形としての青磁の誕生

青磁は「秘色(ひしょく)」と呼ばれる深みのある釉色を理想とし、完成された理想の器形を生み出す磁器として青磁が誕生しました。およそ3500年前の殷(いん)代中期に生まれた原始瓷器(げんししき)が、青磁の源流といわれています。日本では灰釉(かいゆう)陶器と呼びます。西周・春秋から戦国時代にかけては、青銅器の形を忠実に写した優れた原始瓷器が製作されます。三国(さんごく)から西晋・東晋時代にかけては、古越窯(こえつよう)と呼ばれる青磁が大量に生産されました(写真参照)。これは、墓に副葬するための明器(めいき)の類で、とくに朝の訪れを告げる天鶏(てんけい)をモチーフにした「天鶏壺」や五穀を表すとされる五管瓶に楼閣や鳥、動物、人間などを張り付けた「神亭壺(しんていこ)」が盛んに作られました。青磁が発達した地は浙江(せっこう)省ですが、越(えつ)国の唐末五代に越州窯(えっしゅうよう)が急成長すると、やがて華北では陝西(せんせい)省の耀州(ようしゅう)窯を中心とした北方青磁が発達し、浙江省の龍泉(りゅうせん)窯とともに宋磁の主流を占めるようになります。「秘色」と共に、宋代の汝(じょ)窯の「雨過天晴(うかてんせい)」は、中国人の求める理想の青磁の色となります。雨が止んだ後の晴れた空の色を想像してみて下さい。
青磁の青は胎土や釉薬の中に含まれる鉄分の量によるもので、鉄分を多くすると黒釉になり、鉄分を取り除くと白磁になります。また、還元炎(かんげんえん)で焼成すると青色になり、酸化炎(さんかえん)で焼成すると黄色すなわち米色(べいしょく)青磁となります。この磁器の原料は陶石です。すなわち玉も青銅器も磁器も原料は石であり、それは中国の地質と関係があるように思います。
中国というと黄河を中心とする黄土が思い浮かびます。しかし、こと思想に関しては石の国といえるのではないでしょうか。日本は土の国です。日本の国土の3分の2は森林です。その豊かな森林によって水脈が生まれ、豊かな海(漁場)が育まれています。この循環の思想こそ日本の根幹です。そうした日本の自然に比べると、中国の自然は、想像を越えて遥かに広大なものかもしれません。