やきもの曼陀羅[11]六古窯を訪ねる(其の七)備前編

備前窯の誕生

備前窯は、平安時代末期頃に成立したと考えられています。名古屋大学名誉教授の楢崎彰一氏によれば、中世陶器は瓷器系陶器、須恵器系陶器、土師器系陶器の三系統に分かれるそうです。須恵器系統から発展した備前焼以外の五古窯は、すべて瓷器系陶器に分類されます。よって、備前窯は六古窯の中でも別格で、初期の製品は還元焼成で灰黒色の土肌をしています。13世紀後半(南北朝時代)以降になると、硬く焼き締まった焼肌の酸化焼成へと転換し、いわゆる備前特有の赤みの強い器肌の壺・甕(かめ)・すり鉢などが誕生しました。

備前焼の土

鎌倉時代の壺や甕には、直線文以外は無文のものが多いといいます。鎌倉時代末期になると口縁を玉縁状に仕上げるようになり、焼き締まった赤黒い焼肌に櫛目文の施されたものが見られるようになります。その頃は山土(やまつち)を使っていますから、黄色い粒子が混じっていて、肌合いが荒れたように見えますが、大窯の時代になると田土(たつち)を使うようになり、ねっとりとした備前焼特有の味わいが生まれます。田土は可塑性に富んで細工がしやすいので、桃山時代以降、茶道具や細工物が盛んに作られました。大窯時代のものには、ほとんど窯印があります。写真は、須恵器の面影を残す「沈線大壺(ちんせんおおつぼ)」です。以前は制作年代を平安時代末と推定していましたが、現在では鎌倉時代(13世紀末期)と改められています。須恵器と同じ還元焼成で、堅く焼き締められ、風化により火表に数カ所胡麻剥げができています。その周辺の黒色を除けば、ほとんど須恵器風の灰色です。口造りは外側に丸く折り曲げられた玉縁口縁で、肩には2条の沈線が無雑作に施されています。

備前焼の特徴

鉄分の多い備前の粘土は火に弱いため、長時間かけてじっくりと焼きます。大窯は共同窯ですから、大きなものを焼成するのに50日を要したといいます。備前焼は、窯の中の変化によって、赤色・鼠色・黄色・焦茶色などに発色します。その自然発色を「窯変」と呼びます。須恵器の伝統であった灰色の素地から、酸化炎焼成によって赤褐色に変化し、自然釉で黒く焦げ、鈍く光る備前焼の特色である火色が生まれました。また、緋襷(ひだすき)・胡麻・榎肌(えのきはだ)・さんぎり・被せ焼(かぶせやき)といったものも備前の魅力です。とくに緋襷は作品のくっつきを防ぐためにわらを間に挟んで重ね焼きした大窯時代に生まれました。

備前焼の甕や擂鉢

備前焼は釉薬を施さないので土が命です。鎌倉時代から室町時代にかけては山土が使用され、大窯の時代になると田土が使用されます。田土は、田の底に層を成している土で、昔から「窯は売っても田は売るな」といわれたほど貴重なものでした。「備前の甕は水が腐らぬ」とか、「備前のすり鉢投げても割れぬ」といいわれたのも、備前の土の持つ力だと思います。写真は、全体に赤褐色を呈した「大甕」で、肩には白い灰を被り、3本線の窯印があります。口造りは玉縁口縁で、土肌は素朴で土の重みを感じます。黒住教六代教主は、「利口と賢さは違うように、きれいと美しいは違う」といいます。六代教主の蒐集品を拝見していると、どれも素直な美しさが感じられます。

備前焼の研究に生涯をささげた桂又三郎

 古陶磁研究で知られる桂又三郎(1901~1986)は、民俗学の南方熊楠、柳田国男の両氏に師事して、民俗学を専攻しました。1930年、岡山市商業学校を退職し民俗資料を自費出版しますが、すぐ身動きがつかなくなり、小説家・正宗白鳥の弟で万葉学者・正宗敦夫の援助を受けながら、民俗学の一部門として古備前の研究に取り組みました。1937年から1964年まで雑誌「備前焼」41冊を発行し、中世古窯の研究に影響を与えました。1937年には『伊部焼陶印集』、1941年編著『備前焼名品図録 時代分類』、1954年『古備前名品物語』、1961年『古備前名品図譜』、1973年『時代別 古備前名品図録』など、備前焼に関する多くの著書を刊行しました。

備前窯の魅力

写真家の土門拳氏は、「1973年10月、ぼくは初めて備前の地を踏んだ。以前から訪ねてみたいと思いながら機会を逸していただけに、備前にかけるぼくの夢は大きかった。備前焼は、火で土を焼くというより、火そのものが土になったとしか思われない『やきもの』である。つまり『火の化身』なのだ。ぼくは、その鉄と見紛う堅緻な土味と、燃えさかる炎を想わせる緋色の肌に、『古代的なもの』を見出していたのである」と語っています。備前焼の魅力は、そこに潜む「古代的なもの」「土のもつ力」だと思います。

「六古窯を訪ねる」を終えて

 私に備前焼の魅力を教えてくれたのは、陶芸家の原田拾六氏です。古備前の窯跡や発掘された陶片資料などを、よく一緒に見て回りました。そのため備前には何度も通いました。2001年、岡山県備前市市制施行30周年記念事業として、日本六古窯サミット21-備前-が開催されました。また、岡山県備前陶芸美術館では、特別展「日本六古窯名品展」が開催されました。当時の栗山志朗備前市長の依頼で、私が監修することになり、それがきっかけとなって、私の六古窯の旅が始まったように思います。