やきもの曼陀羅[6]六古窯を訪ねる(其の二)瀬戸

六古窯中、唯一の施釉陶器「瀬戸窯」

 瀬戸窯は、鎌倉時代初期に猿投窯(さなげよう)の技術を引き継ぎ、釉を施して高火度で焼成する窯として始まりました。中国陶磁の高度な生産技術と意匠を導入し、寺院や貴族、武士層のための高級調度品として四耳壺(しじこ)、瓶子(へいし)、水注などを中心に生産し、特に鎌倉幕府との密接な関係性が指摘されています。他の五古窯は、主に貯蔵容器としての壺、甕(かめ)、擂鉢(すりばち)などを中心に生産し、瀬戸窯とのすみ分けが行われました。この鎌倉時代から室町時代までのやきものを総称して「古瀬戸」と呼びます。
 瀬戸窯の源流である猿投窯は、古墳時代から鎌倉時代にかけて約1000年間操業したといわれています。9世紀には、灰釉陶器の「白瓷(しらし)」、緑釉陶器の「青瓷(あおし)」が量産されました。しかし、1950(昭和25)年代までは、その存在はほとんど知られていませんでした。1954(昭和29)年、実業家で陶磁研究家の本多静雄によって猿投山西南麓古窯跡群(猿投窯)が発見され、世間に広く知られるようになりました。

中世古窯の研究に貢献した本多静雄と楢崎彰一

 私の故郷、愛知県には、中世古窯の研究に貢献した2人の重要な人物がいます。一人は、猿投窯を発見した本多静雄(1898~1999)です。本多は戦前は逓信省に勤め、戦後は日本電話施設を創業し実業家として活躍する一方、古陶磁研究家、蒐集(しゅうしゅう)家としても知られています。日本陶磁協会の理事を長年務め、多くの古陶磁に関する論文や創作狂言を「陶説」に発表しました。愛知県陶磁資料館(現・愛知県陶磁美術館)の設立にも尽力し、蒐集した古瀬戸の狛犬を同館に寄贈しました。また、自ら蒐集した猿投古窯、古瀬戸などの作品を豊田市に寄贈し、東海地方における古陶磁(猿投窯、瀬戸窯、渥美窯)研究に大きく貢献しました。
 もう一人は考古学者の楢崎彰一(1925~2010)です。猿投山西南麓古窯跡群発掘調査により、それまで日本陶磁史において暗黒時代とされてきた平安時代にも須恵器生産が継続されていたこと、灰釉・緑釉陶器を生産していた猿投窯が日本の中心的な窯業地であり、中世の瀬戸窯や常滑窯、渥美窯へ展開する母胎であったことを明らかにしました。楢崎は、多くの若き考古学の研究者を育て、中世古窯研究における礎を築きました。その功績は大きなものがあります。
 この2人に関しては、次号(瀬戸番外編)にて触れたいと思います。

瀬戸窯の魅力とは

 陶磁学者の小山冨士夫は、「鎌倉・室町の古瀬戸には、桃山のやきものにはない幽玄で端正な美しさがある」と評しています。この言葉は、瀬戸窯の魅力を一言で表しています。小山が亡くなった時、その棺(ひつぎ)には朽葉色の古瀬戸の陶片が収められました。若き日に赤津小長曽(こながそ)の古窯跡で拾った陶片です。小山は「古瀬戸の陶片を陽にかざしてつくづく美しい釉薬だと感動したことがある。(中略)私はその時ほどやきものを美しいと感じたことはない」と「日本六古窯の思い出」で綴っています。
 小山を感動させた古瀬戸の釉薬は、大きくは灰釉(かいゆう)と鉄釉(てつゆう)に分かれます。灰釉は雑木などの灰を主原料として、長石、陶石、粘土などと配合した高火度釉のことです。灰の成分により、ビードロ状の緑色から黄色まで様々な色合いを発色させます。黄色を呈したものを黄釉(おうゆう)といいます。13世紀末から14世紀には、それまでの灰釉に天然の酸化鉄を加えて鉄釉が作られました。鉄釉は、初期の透明性の強い飴釉(あめゆう)から次第に安定した鉄釉に改良されていきます。
 また、瀬戸窯の装飾文様は、鎌倉時代初期から室町時代中頃までの前期の印花文(いんかもん)や櫛描文(くしがきもん)に加えて、中期からは貼花文(ちょうかもん)や画花文(かつかもん)が用いられます。全盛期を迎えた14世紀前半になると、釉薬の下に菊、桜、牡丹(ぼたん)、蕨(わらび)、蓮花、木ノ葉、唐草といった植物文や、巴文(ともえもん)、青海波(せいかいは)、魚文、剣先文などの文様を印花や貼花の技法で装飾するようになり、表現の幅を広げます。しかし、中国陶磁の意匠をそのまま模倣したわけではなく、優美な中にも伸びやかさが古瀬戸には感じられます。また、室町時代以降は、中国の黒釉陶磁に倣った天目茶碗や茶入といった唐物を写した茶道具も焼かれました。

瀬戸窯の名品について

 古瀬戸に名品が多い理由は、その上質な陶土にあるのかも知れません。可塑性が強く耐火度も高い瀬戸の土は、世界一上質といわれています。今回の〝六古窯を訪ねる〟旅でも、陶土の採掘場を訪ねました。今では、関係者でないと立ち入ることは出来ません。今回は、愛知県陶磁器工業協同組合の特別許可を得て、撮影させていただきました。
 小山冨士夫は「古瀬戸の魅力は朽葉色の古瀬戸釉にある」といっています。この鎌倉時代(13世紀)の「灰釉瓶子(かいゆうへいし)」は、肩が張り、その肩から腰に向かってやさしい曲線を描く、素朴な印象の瓶子です。締腰型が完成する前のなんともいえない瓶子の形です。小山は「鎌倉時代のものは全体に灰だけを塗ったため釉薬にちぢれが生じ、器面に釉縞が流下しているのが特徴である」といいます。この瓶子はやや緑がかった朽葉色ですが、まさにその特徴を示しています。
 一方、鎌倉時代(14世紀)の「灰釉印花巴文瓶子」は、直腰型の印花文の瓶子です。全体に灰釉が施され、淡緑色の玉垂れが流下して、なんともいえない清涼感を醸し出しています。口造りは二重口で、肩から胴にかけて巴文が三層に刻されて、三層目の巴文には線刻文を巡らし、二層目の巴文の上下には天然呉須の小さな塊が表れています。中国陶磁にはない豊かな表情が、古瀬戸の魅力だと思います。