「形」重視から「文様」重視へ
中国人と日本人の自然観の違いについては「中国陶磁(1)やきものの誕生」でも触れましたが、やきものに対する理想やこだわりも両者ではかなり違うようです。中国では白磁は金銀器に、青磁は青銅器や玉器にその理想を求めました。やきものは粘土を素材として、その理想の形を創造するための倣古(ほうこ、古い作品を再現すること)であったのかもしれません。それゆえ、中国では型を用いて完璧な形を成形したのでしょう。そこには、日本人のように「土と対話する」、「やきものでしか表現できないもの」などというこだわりはありません。そこが中国と日本の大きな違いです。そして、宋時代までは形を重視してきた中国陶磁が、元時代になって文様に重点が置かれるようになります。これは、中国陶磁史上画期的な出来事でした。
輸出陶器として誕生した青花
青花磁器とは、成形した白磁の生地にコバルト顔料で文様を描き、その上に透明釉を施して焼成したもので、日本では染付と呼ばれています(写真参照=「萬暦染付盤」)。本格的な生産の開始は元時代の景徳鎮窯においてですが、青花は良質な陶石に恵まれた景徳鎮の白磁と、イスラム圏から輸入されたコバルト顔料と、元という異民族支配の国家によって創造され、西欧諸国に中国陶磁を知らしめる輸出品となりました。文様は、蓮池水禽文(はすいけすいきんもん)・葡萄文(ぶどうもん)・松竹梅文・蘭文・龍文・牡丹文(ぼたんもん)など多種多様ですが、いずれも宋・元画にその粉本(ふんぽん)を見つけることができます。明朝永楽年間(1402~24)には景徳鎮に政府直営の御器廠(ぎょきしょう)が設けられ、作風、技術ともに洗練されますが、なかでも成化年間(1465~87)の官窯青花は、素地も文様も気品に満ち、青花の理想の姿を表しています。
技術を極めた五彩の誕生
五彩とは、白磁の生地に赤や黄・緑など様々な上絵具で描いた文様を低火度で焼成した釉上彩のことで、日本では赤絵・色絵と呼ばれています。参考写真の「色絵祥瑞花鳥文七寸皿」は明朝後期(17世紀)に景徳鎮窯で作られたもので、富貴の花であるボタンと尾の長い鳥が描かれています。明朝宣徳年間(1425~34)には青花を兼用した本格的な青花五彩が作られ、嘉靖(かせい)窯や萬暦(ばんれき)窯では五彩を中心に大量生産されますが、明朝の終えんとともに御器廠は閉鎖されました。その後、清朝の康熙(こうき)帝が、その官窯を復活させ伝統の製陶技術をさらに極めさせたため、景徳鎮窯は五彩・粉彩・単色釉などあらゆる技術を集大成して大いに発展しました。
福岡市美術館所蔵「五彩魚藻文壺」は「大明嘉靖年製」の銘をもつ重要文化財です。青花で藻や裾部の蓮弁文帯を線描し、赤・黄・緑・黒などの色釉で上絵付けした華やかな作品で、文様の構成、配色のバランス、壺の形のどれを取っても申し分ありません。魚のオレンジは赤の下に黄を置いた黄地紅彩の手法によるものです。魚に水草を配した蓮池魚藻文は、中国では古くから豊かさの象徴とされてきました。蓮は連(れん)に音が通じることから幸福な結婚と子孫繁栄を寓意します。漢時代において蓮は天の象徴、宋時代には儒教の理想を体現した清廉な君子の姿でした。子孫繁栄の吉祥文様としては、他にもウリ、ブドウ、ザクロなどがあります。
中国陶磁に描かれた吉祥文
医食同源という言葉に象徴されるように、不老長寿は中国の伝統的な生命観でした。秦の始皇帝も前漢の武帝も不死を願ったといいますが、仙女・西王母は仙境にある蟠桃(ばんとう、平たい桃)を食べて三千年の長寿を得たという伝説があります。鶴は千年、亀は万年生き、厳寒に耐えて緑を保つ常盤の松は長寿の象徴とされました。これらは、神仙思想の影響による吉祥文様です。
黄河の急流にある龍門の滝を昇ることのできた鯉は龍になるという故事から、鯉は立身出世のシンボルとされ、登竜門という言葉が生まれました。一方、龍は麒麟(きりん)・鳳凰(ほうおう)・亀とともに四霊の長として貴ばれ、元時代には天子の服に配する文様となり、五爪の龍は天子に限り用いられました。参考写真の「明嘉靖官窯紅地黄彩龍文壺(みんかせいかんようこうじこうさいりゅうもんつぼ)」は明時代(16世紀)に景徳鎮官窯で作られたもので、「大明嘉靖年製(だいみんかせいねんせい)」の在銘があります。数が少なく、安宅コレクションの「黄地紅彩龍文小壺」と同手のものです。青花や五彩には、龍や鳳凰などの吉祥文様がじつに多く描かれています。参考写真の「萬暦染付盤」は明朝萬暦年間(1572~1620)に作られた青花で、盤中央の二重円圏内には龍と鳳凰が描かれています。
文人精神を象徴する吉祥文様として歳寒三友(松・竹・梅)や四君子(ラン・竹・梅・菊)が描かれ、とくに、ランは君子の高潔さを象徴する花として文人に愛されました。またボタンは富貴の象徴で、百花の王です。唐時代には繁栄のシンボルとして盛んに描かれています。
ところで、新石器時代の土器には櫛目(くしめ)や縄目の文様が施され、彩文土器には鋸歯文(きょしもん)、格子文、斜線文などの幾何学文様と、人面や魚、鳥、鹿などの具象文様が筆彩され、続く商・周時代の青銅器には饕餮文(とうてつもん)が施されています。その多くは神々や祖先の霊に対する祭祀(さいき)や副葬品であり、除去不祥の願いがあったようです。このように、中国陶磁の技術は時代とともに進歩しますが、意外と形や文様は変りません。そこには、異なった素材を用いて常に理想の形や文様を求めるという、中国独自の倣古の思想があったように思います。