幻の東京・横浜焼 横山美術館

 横山美術館(名古屋市)で2月12日まで、企画展「東京・横浜焼」が開催されている。明治維新がもたらした日本窯業界における変遷を展覧する。

 1859年の横浜開港以来、東京や横浜へ土を運び、輸出向けに生産をはじめる者が現れる。京都出身の宮川香山が横浜で高浮彫を大成し、瀬戸出身の井上良齋が東京でユニークな隅田焼を焼いた。また、成瀬誠志が細密な東京薩摩を、保土田商店が横浜薩摩をつくって活躍する。
 73年のウィーン万国博覧会へ出品するため、その前年、政府は東京浅草に博覧会事務局附属磁器製造所を設立した。「お雇い外国人」だったワグネルのアドバイスで、瀬戸や有田、京都などから素地を取り寄せ、専門的に絵画的な上絵付を行った。博覧会終了後は瓢池園が引き継ぎ、東京絵付の中心となる。また横浜でも、井村彦次郎や田代商店など多くの業者が貿易港の利点を見込んで上絵付業に参入し、発展する。写真は田代商店の大花瓶。

 ところが1907年、瀬戸焼や美濃焼への上絵付業が発展した名古屋にも港が開業。瓢池園が森村組に従い、田代商店も拠点を名古屋に移し、さらに関東大震災と戦災により東京・横浜の陶磁器生産と上絵付の運命が決定づけられてしまった。

 本展では、かつて隆盛を誇った東京・横浜の陶磁器(眞葛焼、隅田焼、薩摩焼)および上絵付の作品など200点以上を紹介。原久仁子学芸員は「海外に輸出されたことによって奇跡的に残った作品ばかり。日本に里帰りした幻の東京・横浜焼を楽しんでほしい」と話している。