100年を経てなお愛される民藝 東京国立近代美術館

展示風景より「日本民藝地図」

 東京・千代田区の東京国立近代美術館で「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」が開催されている。開催は2022年2月13日まで。

 「民藝」とは民衆的工芸の略で、名もなき職人たちの手によって民衆のために作られた生活道具を指す。風土や人々の暮らしに寄り添ったさまざまな道具に「美」を見出した柳宗悦は、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らと共に全国各地を巡り、その土地に根差す民藝を集め、展示するための場所として「日本民藝館」(東京都目黒区)を開館、雑誌「工藝」発刊、昭和8年には銀座に「たくみ工藝店」(現・銀座たくみ)を開業し、民藝を販売するなど、近代化とともに消えつつあった文化を絶やさぬよう、さまざまな活動を行った。

 本展は6章構成で、1910~70年代にかけての民藝運動を時系列で紹介。柳らが収集した暮らしの道具類をはじめとするコレクションや出版物など450点以上が展示されている。

 第1章では柳が結婚後に居を構えた我孫子での暮らしを紹介するとともに、陶磁器に魅了されるきっかけとなった、浅川伯教から譲り受けたという朝鮮陶磁の壺も展示されている。その後柳は繰り返し渡朝し白磁などさまざまな朝鮮陶磁器を収集。1921年には東京神田・流逸荘で朝鮮民族美術展覧会を開催した。

 柳が民衆の雑器、いわゆる下手物(げてもの)を求めて精力的に各地を巡り、民藝の調査、蒐集を行うのは24年以降。江戸時代後期の木喰仏の調査を目的に全国を旅してまわるうちに日本各地の民衆的・郷土的な工芸の広がりに触れたことが契機となった。やがて全国的な規模で各地の手仕事の調査を行った柳は、調査を統括するような仕事に取り組み始める。そのひとつが第5章に展示された全長13メートルを超える巨大な「日本民藝地図」(現在之日本民藝)だ。41年に芹沢銈介と協働でつくりあげたもので、25種類の絵記号を使って500件を超える産地が登録されている。栃木県であれば「益子窯」(益子町)、「大谷石造り」(宇都宮市)、「鹿沼筆」(鹿沼市)といった具合だ。会場には地図に登場する民藝品もともに展示されており、地図と見比べるのも楽しい。朝鮮や沖縄、アイヌなど、社会情勢の中で文化を奪われてきた地域に焦点を当てた展示も印象的だ。

 いま、民藝ブームの再来といわれている。自分と向き合う機会が増えたことで、多くの人が暮らしを豊かに彩る民藝の魅力に気づきはじめているのかもしれない。

東京国立近代美術館