現在の多治見市根本町で、19世紀中頃から100年余に渡り生産された「根本焼」と、その開窯を後押しした当時の代官坂﨑源兵衛を紹介する企画展「代官坂﨑源兵衛と根本焼」が、岐阜県の多治見市美濃焼ミュージアムで、9月27日まで開催されている。
代官坂﨑源兵衛の名は、郷土史の本にわずかな記載があるほかは、地元でもそれほど知られていないという。同展では、坂﨑源兵衛に焦点を当て、「根本焼」の始まりに込められた想いと、今も色あせない根本焼の魅力に迫っている。
坂﨑源兵衛は江戸時代末期に、根本村を含む可児郡4カ村の統治を任されていた代官だった。当時根本村は、天保の飢饉の影響もあり、苦しい生活を余儀なくされていた。源兵衛はこれを憂い、領地の産業開発を進めていた。そこに現れたのが、春日井郡出身の小助だった。根本村には古くから陶器を焼く窯が存在したが、小助は磁器を製作する技術を習得しており、源兵衛の庇護のもと染付磁器の商品化に成功。「根本焼」の基礎を築いた。その一方で産業開発には、多額の資金が必要となる。源兵衛は領民に対し、厳しい税の取立てを行なった。また当時は一般の人も出入りする娯楽の1つだった賭博を厳しく取り締まったという。そうしたことへの反発もあったのか、源兵衛は1852年に暗殺されてしまった。後の「根本焼」の隆盛を見ることもない48年の生涯だった。
同展では約80件の「根本焼」を出品。描かれた絵は、どれもおおらかな魅力に満ちている。