古唐津の優品
唐津焼は名脇役と言いましたが、古唐津にも優品がたくさんあります。そんな優品を公益社団法人日本陶磁協会 が発行する『陶説』の古唐津特集(第811号、2020年11-12月合併号)に書きましたので、名前だけを列記しておきます。
和泉市久保惣記念美術館蔵の奥高麗茶碗 銘「三宝(是閑)」(重要文化財、以下、重文)、北陸大学蔵の奥高麗茶碗 銘「ねのこ餅」、個人蔵の奥高麗茶碗 銘「深山路」、相国寺蔵の重文、唐津鉄班文水指、出光美術館蔵の絵唐津柿文三耳壺(重文)、梅澤記念館蔵の絵唐津松樹文大皿(重文)、逸翁美術館蔵の朝鮮唐津徳利、根津美術館蔵の鉄絵葦文瓶、畠山記念館蔵の朝鮮唐津徳利、北村美術館蔵の斑唐津ぐい呑などです。まだ、他にも探せばあると思いますが、唐津の優品の「相撲番付表」を作ったら楽しいだろうと思います。
唐津焼の種類
唐津焼の種類を挙げるならば、奥高麗(おくごうらい)、瀬戸唐津、絵唐津、朝鮮唐津、斑(まだら)唐津、三島唐津、黄唐津、青唐津、黒唐津、蛇蝎(じゃかつ)唐津、辰砂(しんしゃ)唐津、二彩唐津、備前唐津、彫(ほり)唐津、彫絵(ほりえ)唐津、叩き唐津などです。
奥高麗の特徴について
奥高麗とは、朝鮮半島で作られた高麗茶碗を手本として作られた茶陶を言います。名前の由来は明らかではありませんが、日本に渡って来た高麗(朝鮮)の陶工が、唐津の奥(山奥)で作った茶碗だから、そう呼ばれるようになったという説があります。
その代表的なものとしては、和泉市久保惣記念美術館蔵の奥高麗茶碗 銘「三宝(是閑唐津)」、個人蔵の奥高麗茶碗「中尾唐津」、個人蔵の奥高麗茶碗「糸屋唐津」、個人蔵の奥高麗茶碗 銘「深山路」、北陸大学蔵の奥高麗茶碗 銘「ねのこ餅」などが知られています。
嘉永年間(1848~53)京都押小路の道具商で、目利きと言われた『山越伊三郎覚書』には、「奥高麗惣体造り高麗物の如くにて見事なるものなり、薬白茶色赤之色少し青味出来もあり、土も古唐津造りざんぐりと結構なり、一品のものにて高台作りも違い見事なるものなり、格好よき茶碗あり、見事なれ共大の方は少し下品、」と書かれています。
胎土は、全体に粗目のものが多く、ゆえに高台の内外にちりめん皺を作るのが唐津の特徴と言われています。これと反対、あたかもこし土のように見えるきめの細かい土のものもあります。また、ちりめん皺(しわ)のよく出たものと、ちりめん皺の少ないものとの二種類があります。
この二通りが唐津を代表する土と言われてきましたが、山から掘り出したまま水簸(ひ)をしないで使用したため、小石の混じった「石はぜ」のあるものも見受けます。奥高麗の茶碗で「石はぜ」のある豪快な茶碗を見たことがあります。
写真の奥高麗茶碗 銘「滝川」は、私の知人の愛蔵品です。器肌のビワ色が他の奥高麗に比べると少し濃いように見えますが、土は柔らかく、お湯が入るとしっとりとして赤味が増します。そして、高台の巣穴がこの茶碗の大きな見どころで、じつに野性味のある趣となっています。その男らしさに惹かれます。
上手(じょうて)の唐津の多くはきめの細かいこし土のような陶土で作られており、かなり薄作りに轆轤挽きされています。しかし近年、陶土となりうる粘土層のない伊万里市の櫨(はぜ)の谷で、なぜ唐津焼が作られていたのかという疑問から、櫨の谷にある砂岩を細かく砕き改良して陶土を作ったのではないかと推測されるようになり、唐津の陶土に対する認識が大きく変わりました。この古唐津の陶土の問題に関しては、また後程、述べることにします。
奥高麗茶碗の釉色は、白色、ビワ色、薄い赤味を帯びた黄色、淡く青味を帯びた茶色など様々です。地元では、赤味を帯びたものを「赤でき」といい、青味を帯びたものを「青でき」と呼ぶようです。奥高麗茶碗は、全体にごく薄い土灰釉が掛けられ、胎土や火度によって表面が変化するので、唐津茶碗の中で最も喜ばれているようです。奥高麗茶碗の高台は、高いもの低いものと多種多様で、低い竹の節、高い直立型、八字形高台などがあるようです。
奥高麗に類する米量と根抜
奥高麗に類する茶碗として、米量(よねばかり)と根抜(ねぬけ)があります。米量茶碗は、米びつの中に入れておいて、米をすくったものですから、口辺と高台がすり減っています。根抜茶碗は、根つまり高台が朽ちているものを言います。『茶器辨玉集』には、「一、根抜ト云ハ古キ事、根ノ抜ケタルト言事也」とあり、根抜とは古いことを指すようです。写真の奥高麗茶碗は米量茶碗に類するもので、いつの時代にか米びつの中に入れられ、米をすくう器となったものです。福岡東洋陶磁美術館の所蔵品で、「万年杉」の銘が付いています。
奥高麗が焼かれた古窯跡
奥高麗茶碗は、雑器から転用された茶碗ではなく、井戸、熊川、呉器、柿の蔕(へた)などの高麗茶碗を手本として、最初から抹茶茶碗として作られた茶碗と言われています。大きさも大小二種類ありますが、川古窯の谷下窯で焼かれた奥高麗茶碗 銘「真蔵院」は、口径13センチの比較的小ぶりな茶碗です。
奥高麗茶碗が出土した窯は、市ノ瀬高麗神、藤の川内、焼山、甕屋(かめや)の谷(たに)、大草野などの諸窯ですが、奥高麗を焼いたと思われる窯は、帆柱(ほばしら)、阿房谷(あぼんだに)、道園(どうぞの)、椎の峯(みね)、牧の欅谷(けやき)、川古窯の谷下(たにしも)、百間(ひゃつけん)、葭(よし)の元などが挙げられます。唐津焼は、一般的には日常雑器が流通していますが、奥高麗のような茶陶も作られていたということは、唐津焼の幅の広さを裏付けています。